「針の山と血の池に、哀れな供物を挟みまして。 皮膚を焦がす濁り汁を、鋭い穂先に流しまして。 雨と降り注ぎ槍と天に伸び、静かに深く空を揺らせや。 ああ、新月の永久なる太平の世に。 美しき裂き声、麗しき潰し詩、愛しき突き声、濡れた焼き声。 この祭りを祝え、白炎の魂――」 鈴虫は静々と、想いのままに歌い上げる。 これまでの歴史とこれからの歴史を思い、これから始まる天国と地獄を思い、鈴虫のように鈴鈴と鳴けずとも高くて美しい歌声を響かせて、蟲の羽音の中でさえ浮かび上がる。 弥助が呆然と見惚れる前で黒い髪を蠢かせ、白い幼顔が澄んだ声を戦場に流していく。全身髪の毛の外見から及びも付かない美声に、蟲さえざわめき狂う。「あー! やあああっ! ぎゃあああっ! んあ! がはっ! げふっ! はあ、あああ!」 鈴虫の歌声に合わせ、赤子ほどもある巨大スズメバチが鋭い針をしならせて、全身の骨が砕けて垂れた澪を次々と貫いていた。乳房や腹部を貫通した毒針はぼろりと崩れて落下するが、周りの蟲雲が瞬く間に融合して別の巨大スズメバチを生み出していく。 前半分を蓮根のようにされた澪は、骨の残骸と潰れた肉を噴き流しながら唯一無事な顔を振り乱し、苦痛から逃れようと必死に異能を使おうとする。しかし、何千と連なるスズメバチの嵐を遮ることは叶わず、新しい針が無数に全身を貫き、背中を破って抜け落ちていく。「きゃははははは!きゃ!きゃ!きゃ!」 針の山と血の池を操りながら、鈴虫は無邪気に笑う。歌うときとは異なり、歳相応の幼顔が死人色の笑みを形つくり、瀧のような髪の毛が激しく揺れていた。「ははははは! 虫くれめが! 虫くれめがっ!」 弥助も鈴虫に連なり面白げに嗤う。苦しむ澪の姿を心底楽しみ、嘲り、そして勝ち誇る大笑。甲世の二代目将軍とその相手は、終わり無き饗宴を止む気配もない。 何千、何万回も毒針に貫かれた澪は、内蔵と骨が混ざり湖と化した胴体から赤い雨を降らしながら、鈴虫の異能で生き永らえていた。命が尽きる際を見て鈴虫が臓物を復元させ、死という選択肢を奪う。拘束者のゴーレムたちは蜂の影響を受けず、ただ澪という神輿を高く持ち上げて固定するのみ。(殺して! 殺して! お願い! 殺して! 楽にしてええっ! 痛あああああっ!) 美しい顔を歪め、目から涙と血を流し、鼻腔と唇から内臓を漏らしながら、ただ許しを乞う。一族の敵討ちも、妹の麗の無念も、自分の正義も、何もかもが砕けて消えた。どれだけ強靭な意志を持とうと、圧倒的な拷問の前には敗れる以外の選択肢は無い。勝てるはずが無かった。「ごぼがぼっ! ごぼご! ごぼぼっ! ごおっ! ごぼ!」 大地には蟲が山を成し、お互い磨り潰し合い血を流し、臓器も胴体も頭も混ざり合い、無数の羽を浮かべた巨大な塊に変貌していた。黄色く濁り、醜悪に泡立つ血の泉。針の山と次は血の池。ゴーレムにより蟲のジュースに沈められ、澪は苦痛と恥辱で狂乱しながら生死の境を彷徨い歩く。「あら、父上。ようやくのお着きですか」現 れたのは巨大な影を持つ異形の塊。 ――甲世直政の君臨。 蟲の嵐が音を立てて左右に割れる。その姿はかつて海を割った古人の如く、無限の蟲を使役し世界を塗り変えんとする異形の王は、弥助さえ黙らせる威圧感で場に現れた。全ての蟲と異形と腐敗した空気が透き通るように静止し、天から伸びる無数の腕さえ暗黒の雲の中に戻り行く。 彼より発生した蟲の大群が日本を埋め尽くし、島の生態系を根底より改変して新月の理想の世界を創造する。まさに国家の危機そのものを体現した怪物はしかし、驚くほど冷静に言葉を発した。「鈴虫。弥助。この娘は俺が預かる。何か申すことはあるか」 巨大な触手が澪の肉体を巻き取ると、壊れかけた獲物はびくびくと痙攣して血を噴く。ゴーレムたちが抵抗するように蠢くが、直政が一睨みすると動きを止める。「ごぼぼおっ! ごほっ! ごほっ! げほっ!」 もう言葉を発すこと事もできず、澪は恐怖と絶望の中でただ死を望むだけになっていた。もう自分を殺してくれるのなら何でも良い。これ以上生きるという選択肢を、既に彼女は捨て去っている。「その娘は父上の虫ゆえ、鈴虫が申すことはございません」「弥助も、鈴虫様と同じく」 鈴虫と弥助はやや戸惑う表情を浮かべながら、主の意志に従う。直政も拷問に参加するものと考えていた2人だが、彼の意思は別にあるようである。「ふむ。気が晴れぬなら、付近の人間でも喰ろうてこい。蟲が付近の人里を貪り尽くし、しばらくの間喰えなくなる。鈴虫が我慢できるならば、別に構わぬがな」 触手の先端で鈴虫の頭を撫ぜながら、直政は嗤う。触手は優しく動いて鈴虫の顔にかかる髪を払い、現れた顔を確かめるように愛でる。娘の成長を喜ぶ、それは紛れもない父親としての姿だった。「お前らはいつまで見ている。消え失せよ」 直政が腕を振るうと風が起こり、ゴーレムの群れは吹き払われるように粉砕された。触れることさえなく、土人形の軍勢は元の土に戻って沈黙する。 鈴虫と弥助は仰天して直政を見た。使い捨てであるとはいえ、黄金仮面の兵隊であるゴーレムを破壊するのは尋常ではない。短時間に、彼と黄金仮面の間に何があったのだろうか。「甲世直政、その娘を今すぐ処刑しなさい」 虚空が歪み、中から黄金の仮面が姿を現した。暗黒のマントに笑顔の仮面をつけた魔法少女は、拷問狂としての顔を隠そうともせず地に降り立ち、静かに甲世家縁の者たちを見渡す。「皆の者、ご機嫌麗しゅう」 黄金仮面は嗤いながら言う。「早速だが、もう一度言う。甲世直政、その娘を今すぐ処刑しなさい」「この虫をいつ殺すかは、俺が決めることだ」 直政の返答に、黄金仮面は首を横に振って続ける。「この娘は普通の魔法改造人間ではなく、『新月』の武闘派だったヴィーヴァーの血統。そもそも実験のために製造され、実験が終われば始末されるサンプルに過ぎない。そう、直政、お前に殺戮を指示した隠れ里こそがサンプルの全て。だから、今の時点で、娘は存在していてはいけないの」「ふん、計画には影響無かろう」「大した影響は無くとも、今は新世界が生まれる瞬間。不確定要素は可能な限り排除したい」「左近と瑪瑙姫の軍勢が攻めてくることさえ、聞かされたのは城が包囲される直前だった。その計画に不確定要素も糞も無い」「しかし」「黒衣の神よ、貴公がこいつを殺したがっているのは承知したが、これは俺の虫なのだ」 剣呑な空気を感じ、鈴虫と弥助はいつでも魔法を使えるよう蟲たちに手を回す。万が一、直政が黄金仮面と戦闘になれば加勢するつもりだ。黄金仮面は摩訶不思議な服で圧倒的な守備力を誇るが、直接的な攻撃力はあまり無い。戦闘になれば、勝てずとも負けない。「『新月』にも号令をかけたようだが、俺はこの娘を貴公の好きにさせるつもりはない。それは勿論、『新月』の者も同様。蟲の巣の中にいる巫女たちは好きにするが良い。あれは左近のものだからな」 直政はそれだけ言うと、大きな足跡を立てて黄金仮面の横を歩いていく。触手に巻かれた澪は時より呻き声を上げながら、最早仇の為すがままになっていた。「甲世直政、別の私はお前と敵対するつもりはない。誤解はしないで欲しい」「黒衣の神よ、俺とてそれは同じだ。目指す場所も道も同じよ」 直政が黄金仮面の横を通過するや、黒衣の魔法少女は空気に融けるように消えた。大地に根付いていたゴーレムたちの気配も完全に消えた。黄金仮面は去ったのだ。 直政がいなくなると、鈴虫は緊張を解いて弥助に微笑んだ。「ふう、ちょっとドキドキしたね。もしも、父上と黒衣の神が戦闘になったら」「この虫くれには、考えも及びませぬ……ぬおっ!」「きゃあ!」 嗤い合う2人の異形の立つ地面が激しく揺れた。 それは、まるで地の底から何かが這い上がってくるかのような、重々しく力強いものだった。 直政の蟲の巣の影響だろうと鈴虫は思う。「でも、私たちと黒衣の神、戦ったら勝つのは――」「鈴虫様、それは」 そのとき、天空を覆う蟲雲が乱れ、何十と尾を引く巨大質量が大地に陰を落とした。 蟲や異形たちの戸惑いが伝わり、暗黒の世界そのものが揺らいでいるかのよう。両翼を広げるだけで空を覆い尽くす神話の怪鳥『大鵬金翅鳥』。この世界に棲んでいた怪異、「鷹爺さん」こと羽翼仙の原型である。「空気が激しく震えている。みんな、あの巨体に怯えているわ」 怪鳥の襲来、それは『新月』の全員がこの地に揃ったことを意味していた。 再び、地面が激しく揺れる。「ま、また揺れた? さっきより、激しい……」「っ! な、なにか、少し様子がおかしいような……」 ………………… ……… 島ほどの面積を持つ大鵬金翅鳥の背で、『新月』たちは新世界の幕開けを祝福していた。独自の嗜好と残虐さを併せ持つ面々、その中でも異彩を放つ者が何人かいる。「ほう、ここまで蟲だらけとはなあ。直政や弥助たちは、随分と派手にやったものだ」 巨大な鈍色の鎧に赤いマントを羽織り、首には4つ頭の獣皮が巻かれている大男。慎重は優に二メートルを越え、堀の深い表情は凶暴さと残忍さが滲み出ていた。形容するならば擬人化した百獣の王。腰に差した大剣は人骨を何千回も切断して歯も零れていない。「くっくっく、導様の秘蔵っ子と言われるだけのことはあるってか。虫の親玉も。まあ、俺様ほどではないが」 黄金仮面といっしょに別世界からやってきた彼、カーウィス・クローバーハートもその1人。 仲間割れをした挙句に自滅したクロノシスタとヴィーヴァー以外の、黄金仮面の元いた世界の部下も同様に世界を渡り歩いてきている。言わば『新月』の中でも古参の顔である。「おい、ハッピー!」 顔を向けたのは、純白のフリルのドレスを着た金髪の少女。透けるような白肌の美顔、しかし耳の部分から白鳥の羽が生えていた。異形というより畸形。名はハッピー・ネロファンダ。元の世界では鳥顔病と呼ばれる難病に侵され、紆余曲折の果てに精神の一部が破綻した半分鳥人間。「惚けっとしてんじゃねーよ! 話聞いてたのか、お前! あぁ!」「えーと、何だっけ? クルル?」 丸い鳥目をくりくり動かしながら、ハッピーはカーウィスの顔を覗き込む。「なんで、あの直政の野郎がこのカーウィス様との決闘を呑まないか、分かるか?」「えぇ、カーウィスくんからの決闘を、あの直政くんが受けないわけ? うーん、うーん」 考えているのかいないのか判別のつかない表情で、ハッピーはクルクル鳴きながら微笑み続けている。別に馬鹿にしているわけではなく、彼女は普段からこの調子だ。「決まってるだろう! 俺様に負けるのが怖いからだ! あいつは俺様にコテンパンに負けるのが怖えーから、無視するふりして逃げ回ってんだよ! はっははは! おい、お前たちもよく聞けよ! どうも俺様よりあいつが格上だと思われているが、どっちが強いのか、そのうちはっきりさせてやっからな!」「きゃー、カーウィスくんすごーい! がんばってがんばってー、クルクル」「へっへっへ。そうだそうだ! もっと言え! 何度でも言え! 俺様を讃えろ!」 獲物の全身を切り刻んで油牢で焼き殺すのが好みのカーウィスと、獲物を生きたまま鳥に突き殺させる手法では右に出る者無しのハッピー。極度の好戦主義者と異形な傍観主義者のカップルは、『新月』内でも甲世の一門と対を成す巨頭である。もっとも、今は仲間内での戦闘は御法度であるが。「落ち着いてください、カーウィスさん。今日は理想の世界が現れる記念日なのですよ」 口を開くのは、レオタード巫女少女による甲世討伐隊の創設者。 表面上は甲世と敵対する立場の永山左近は、隣の大名の家紋が刻まれた衣を着て微笑んでいた。上品に髭を蓄えた中年の男。武将というより公家に近い印象を受ける。人間を殺すことにおいて、最悪の性質を持つ軍師としても名高い。「そーそー、今日は記念日、みんなで仲良く、ぐちゃぐちゃのめのめのなのー!」 薄紅色の着物を纏う瑪瑙姫は、無邪気に微笑んで腕を打ち鳴らしていた。 没個性だが特に問題の無い容姿、しかし紋様が浮き上がる両腕は変質した、無数の針を生やした触手。例えるならばサボテン人間。彼女は全身から針を生やし、不可視の力で人間の思考を操作する。「そうだね! 今日は記念日だー! きねんびきねんび!」 走り回るハッピーに釣られて、他の者の気分も高揚している。他にも多くの異形、人間が自分たちの理想の世界の到来を実感していた。歴史が自分たちのものになる、その瞬間を。「確かに記念日ですけど、目先のことに気をとられると痛い目を見ることもあります」 その中で、やや冷静な者も幾人かは存在する。「こういうときこそ、私のように平静に、かつ冷静に物事を観察しておかなければなりません」 冷静な声で高説しているのは巨大な粘液の塊、スライムだった。 内部には武闘家の少女が半分溶けた状態で漂っている。黄金仮面が前の世界で人類最後の拠点を殲滅した際、人間の希望として立ち塞がった勇者パーティの1人。 かつて黄金仮面が魔法使いとして参加していたパーティのうち、勇者と剣士はその場で惨殺されたが、武闘家の少女だけは消化粘液の中で溶解と回復を繰り返され、100年近く生き続けていた。「キングジェル17世よ。貴女の言うことはその通りだが、どうやら無駄だね。これからもっと騒がしくなるよ。見たまえ、直政氏が迎えをよこしてくれたようだ。狂乱の始まりさ」 紳士的にスライムに話しかけるのは、ダイヤモンド、ルビー、エメラルド等、全身が色とりどりの宝石で構成された派手な外見のゴーレムだった。彼はキングジュエルゴーレム。キングジェル17世と呼ばれたスライムと共に、黄金仮面の右腕と左腕として動く魔物である。 『新月』メンバーとして勇者パーティに仲間として同行し、戦闘時に正体を表して奇襲し、勇者たちを一気に追い詰めた二匹。特技は、仲間にして欲しそうな仕草でしおらしくすることである。「とりあえず私はここに残る。左近の育てた巫女たちは気になるけれど、誰かが周囲にも気を配らないといけないから。貴方も行っていいわよ」「私もここに残るよ、ジェル。話し相手は必要だろう? 主の集めた新しい仲間たちはみんな欲望に忠実だからね。こういうときは、誰かが後ろをしっかり押さえておかないとならない」「主に仕えて100年以上。カーウィスやハッピーは何ら変わらないけど、貴方は変わったわ」「貴女もね。ジェル」 しみじみと会話する、王の名を持つゴーレムとスライムの前で、メンバーは次々と巨大なトンボやハチに乗り込んでいる。直政の遣した下降用の巨大昆虫たちだ。「さーて、夢のパーティの始まりだぜ!」 カーウィスの叫びを合図に、『新月』たちは地上への降下を開始した。 ………………… ……… 天空を仰ぎ、直政はうむ、と唸った。「見よ、騒がしい奴らが来おったわ!」 上空の巨大な鳥から、無数の巨大昆虫が急降下してくるのが見える。黄金仮面が指揮を執る秘密結社『新月』の構成員たちが、号令をかけられて全国から集結してきたのだ。 似たような欲望により結びついているとはいえ、組織自体には複数の派閥がある。中でも、直政を核とする甲世家の一派は、古参のカーウィスが中心の一派と相性が良くない。もちろん、その軋轢はどんな種類の組織にも等しく存在するものであり、戦国の大名家の内部とて同じことである。 直政からしてみれば、カーウィスという男は自己顕示欲が異常に高いだけの小物だった。相手にする価値も無い。もっとも、本気で攻撃を仕掛けられれば容赦なく殺すつもりだが。「求められても、お前で遊ばせるつもりは無いが……む? どうした?」 直政がやや驚いた声で澪を見る。触手に巻き取られた澪は、まるで痛みを何も感じていないような、そして無思考な顔で天を仰いでいた。まるで心が抜けてどこかに飛んでいってしまったかのように。 直政の肉眼では知覚することができず、だから気付けない。 澪の肉体から白い炎が湧き出し、天に向けて昇っていく光景を。 目の前で起きている、異変を。「……むう!」 地面が激しく揺れた。まるで地の底から揺さぶられているかのように。 自分の蟲の巣の動きではない。直感的に理解した直政は、しかし戸惑いの顔を浮かべるしかない。 ………………… ………「あ、あれは何?」 沸騰した川は完全に干上がり、河床は高熱を帯びて赤く変色している。 巨大な怪鳥が蟲地獄に侵入して少しの時間が経過した。何とか動けるまで皮膚の復元を完了させたキメラ少女は、甲世の城から再び逃げようとして、視野に入った物体にしばし思考を奪われる。「鳥? 人間? いや、あれは――」 キメラ少女はその目で確かに見た。 あの忌まわしい白き炎が。 蟲雲を抜けて天高く。 浮かぶ白い雲の上まで昇っていくのを。 蟲と異形の地獄から、白い光が発射されたかのように。 高く、高く、空高く。 天高く、宇宙高く。 澪の形をした炎が、同じ異能を持つ者以外、誰にも知覚されることなく、天を駆ける。 巨大な天空と、地上で増殖する蟲の洪水を結ぶ白い光。 まるで大空が甲世の城を狙い、何か、照準を合わせているようにさえ見えた。「ああ、もう大丈夫なんだ――」 どうしてそう思ったのかは分からないが、キメラ少女は妙な確信を持って呟いた。 天に昇る白い光が何を意味するかなど分からないし、これから何が起こるのかも分からない。ただ、確信して言えるのは、どんな形になるにせよ、甲世の地獄は終焉のときを迎えたということだった。 悪夢は、終わりのときを迎えようとしているのだ。 その後、どうなるかは分からないにせよ。「きゃああ!」 地面がまたしても小刻みに震える。 先ほどよりも、激しく、そして長く、地中から唸るような音が聞こえてくる。 音を立てて、河床が割れた。 そこから血のように湧き出してきたのは、真紅に燃える溶岩だった。 ………………… ……… 一糸纏わぬ姿で、澪は宇宙に一番近い雲の上にいた。(ここは、いったい、どこなんだろう……) 甲世に拷問の限りを尽くされた澪はほぼ無思考になりながら、雲の上に立つ自分がどうしてここにいるのかを考えていた。しかし、いくら考えても答えがでることはなかった。 雲は綿のように柔らかく、一面に色鮮やかな花々が咲き誇り、瑞々しい木が立ち並ぶ。極楽浄土という言葉が頭の端に浮かび、すぐに消えていく。存在しないに等しい薄い大気を満たしていたのは、澪が操る炎の魔法の力に違いなかった。そんな禍々しい力で満ちた極楽があるわけがない。(青かった空が、なんて暗い……だけど、とても綺麗だわ……) あれだけ青かった空は、雲上から見ると夜のように暗くなっていた。もしかしたら、空が青いのは空自体が青いのではなく、地上と雲の間にあるものが青く見えているのではないか。澪は何となくそう思う。 地上で見るよりも煌き、美しい星の光。 巨大な月の姿。 限りなく広き宇宙の中で、澪は己の矮小さを思い知る。(あれが、私たちの住んでいる場所?) 澪の真下にあるのは、巨大な大陸に隣接した小さな島だった。弓のように反り曲がる大島と、それに連なる大小無数の島々。あれが自分たちの住んでいる国なのだと、澪は初めて知る。 儚いほどに小さく、そして美しい島がそこに在った。「お姉の感じている通り、その島こそ、私たちの愛しい故郷」 よく知った、澄み切った声。 澪は目を見開いて、声が聞こえた方を向いた。 信じられない。 信じられずに、ただ涙を流して口元を押さえ、立ち尽くすしかない。「また逢えて、こうしてお話ができて、とっても嬉しいよ。澪姉……」「れ、麗……本当に、麗なの……い、生きていたの?」 満開の花畑の中、やはり生まれたままの姿で、妹の麗はにっこりと微笑んだ。 目に浮かんでいるのは歓喜の涙。 蟲に食べられてもいない、苦痛に歪んでもいない。 愛らしい妹の笑顔がそこにあった。「ううん。私はもう死んでる」「私は麗の残滓のようなものだから」「本当なら『系』に還って融けて別の姿になるのだけど」「澪姉に『言葉』を伝える役割を与えられて」「生きているに近い状態まで復元されたんだ」 再会の喜びの中、悲しげに麗は語る。 姉の身を心から案じている、慈悲深い妹の顔で。 麗とは別の何かの言葉が、麗の口から紡がれる。「あの、別の『系』から訪れた侵略者たちの」「巨大にして強大な『系を創り変える魔法』を」「迎撃し、粉砕し、打ち滅ぼす準備は完了した」「この地に生きる我々は、あの存在を許しはしない」「この『系』の理から外れた者を、許しはしない」「人間の手に負えぬなら、我々が最後の力で処断するしかあるまい」「もう、これより永遠に、我々は人間に手を貸せぬぞ」「我々はもう、永遠に眠るのみだ」 麗が言葉を放つ。 花々が、木々が、ざわざわと魔物のように蠢いた。 澪が異形を焼き払った灰から芽を出し、甲世の力を変換して復活した存在が。 あの、様々な魔法の術式を瞬時に組み上げて反攻を開始した存在が。 天空を地平線の彼方まで覆う緑の眷属たちは、日本という場所に存在する全ての生命。「人間の巫女を媒体に、天変地異を起こすなど千年ぶりか」「あの刻は、まだ我々と人間は交流できていたが」「本当に、自立できたと思うたら、千年経てもまだ手がかかるとは」「ははは。出来の悪い子供たちよ」 すぐに訪れる別れを悲しみながら、麗は彼らの言葉を『翻訳』して澪に伝える。 その言葉を伝えるのが、麗が存在できる代償に与えられた義務。「さあ、2つの『系』を併せ持つ、人間の歴史で最後の巫女よ」「全てを終わらせるべく、あれを撃て」 麗は地上の彼方、蟲の大群を吐き出している甲世の巨大巣を指して、宣言した。「『系』を創り変える魔法を、『系』の持つ全ての魔法で粉砕せよ」 神話や伝説にしか存在しない世界系魔法を実行できる者。 それこそが救世主。 そして、世界のために世界系魔法を使うこと。 それこそが、救世主のお仕事。 歴史に名前こそ残らなかった救世主、澪のお仕事。 それが今、果たされる。『救世主ミリルのお仕事』 第4章 −甲世の城(後) 白炎の太陽VS暗黒の新月−4-1「白炎の太陽VS暗黒の新月1」 4-2「白炎の太陽VS暗黒の新月2」 4-3「間、集結の新月」 4-4「白炎の太陽VS暗黒の新月3」 (現在ページ)4-5「白炎の太陽VS暗黒の新月4」 4-6「白炎の太陽VS暗黒の新月5」 4-7「燃える世界」 4-8「終極」 4-9「はじまり」
Author:N *― ―) 暇人のSS書き。華麗に武装した少女戦士や魔法少女の敗北萌え、陵辱萌え、拷問萌え。好きなシチュは汚されてドロドロ、小さいものウジャウジャ、囲まれてボコボコ、動けない、脱出できない、終わらない。 好きな作品は最近は学園黙示録 ハイスクール・オブ・ザ・デッド。お気に入りは、うみねこシリーズ、舞Himeシリーズ、ネギま!、セーラームーン、封神演義等。
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