深い森の中、細い一本道を駆けてゆく白馬の騎士の姿があった。東部山岳地帯の特産品であるヤクキビ(葉野菜)畑の爽やかな緑も次第に消えていき、今は枯葉の積もる道と歪に捩れた老木の群れがただ視界に流れ込む。麓でヤクキビを栽培している農村から数十分もすれば、そこは開拓されていない暗い森が広がっていた。雨を含みいつまでも乾かない土、停滞した空気、届かない太陽の光、目をぎらつかせている野生動物、ざわめく葉、そして魔物の気配。 「地図だと、この辺りのはずなんだけど……ちょっと行き過ぎたかしら?」 白馬から降り立つのは、凛々しく武装した銀髪の少女騎士だ。白銀の甲冑と雪色のマントを纏い、腰にすらりと長い聖剣を納め、長い銀色の髪を結ってポニーテールにしている。鎧の胸に彫られているのは、王国随一の精鋭である王宮女神騎士団の印。 「えーと、あれが目印の尖がり岩だから、やっぱり、ここでいいのよね」 動物の皮を縫い合わせて作られた巨大な荷物袋から地図を取り出し、騎士の少女は現在地を確認しながら一人で頷いた。返事をしたのだろうか、白馬も高い鳴き声を上げて横に寄り添う。 「ちょっとここで待っていて。すぐに戻るからね」 騎士の少女は懐から緑の宝石を取り出すと、自分の馬に向けて早口で呪文を唱え始める。宝石は風船のように膨れて上がり、半透明のドーム型結界と化して馬を包み込んだ。 魔法を編み込んだ宝石が展開する対物理結界は宝石の同様の硬度であり、下手な武器で攻撃しても刃が砕けるだけである。温度変化にも強い。これは少女が不在の間、白馬が他の動物に襲われないための措置だった。 少女が使用している魔法は宝石結界術と呼ばれる防御型術式である。学問体系としては土属性魔法に分類され、他の土魔法同様に大地の恵みの力を使役して奇蹟を起こしている。ただし、土塊や岩石を利用して攻撃や防御を行う一般的な土魔法と異なり、特定の鉱物の魔法的性質を利用した非常に強力な術だった。 もちろん、誰でも使用できる術ではない。必要とされる魔法技術の高度さに加えて、媒体とする特定鉱物の高価さが大きな障害として使用者に立ち塞がる。 隣国の巨大軍事国家の姫は巨大なダイヤモンドの刃を自在に操って敵を切り刻むと言われているが、それは広大な領地に広く分布する豊かな鉱脈が前提である。巨大なダイヤモンドの刃を用意できるだけで冗談にしか聞こえないが。 「うーん、この大きさだとお前にはちょっと窮屈かな。ごめんね、次はもっと大きな結界を創れるように練習しておくから。少しだけ、ここで我慢していてね」 結界の中で少し窮屈そうな愛馬に謝る少女。甲冑に身を包んでいた騎士の顔が姿を隠し、歳相応の笑顔が少しだけ零れる。しかし、それは一瞬のものだ。ここは城壁に囲まれているわけではない森の中、いつ魔物や動物が現れるかも分からない。 騎士の少女は顔を引き締めて、腰から音も無く剣を引き抜いた。刃に映るのは自分の眼、その先に存在するのは忠誠を誓う王国の姫の愛姿。 「戦女神よ。どうか私めにご加護のあらんことを」
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この王国には、魔力の非常に高い女性騎士のみで構成された部隊、王宮女神騎士団が存在している。魔力のピークが十代後半辺りであり、騎士団の構成年齢は総じて若く、子供に部類に入るものも多い。姫に身を捧げた立場にあるので男と交わることは許されず、毎日の修練は勿論のこと、戦場にも駆り出されることになる。 しかし、騎士団に憧れる少女たちは多い。騎士を出した家には末代まで相応の名誉が与えられ、怪物を追い払う英雄として国民からも尊敬される。 今、森の中で馬から下りた少女も、自ら進んで騎士団への道を志願していた。幼少の頃、怪物に食い殺されそうになるのを女神騎士団によって助けられ、それ以来ずっと女神騎士団入隊を目指して修練を積み、数年前に入隊したのである。
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王国の統治の上で、領地の治安を脅かす大きな要因として挙げられているのが、巨大軍事国家である隣国の挙動、山賊などの犯罪者集団、そして森に生息している怪物たちの3つである。それらを排斥して民の安全を守るのは王宮女神騎士団に与えられた重要な任務であるが、毎日のように戦闘が起こるわけではない。 女神騎士団の普段の仕事は有事に備えての修練、将来の騎士候補生たちへの教育、週に一度の領内の見回りである。騎士の少女にも見回りの場所が割り振られていたので、今日は早起きして馬を飛ばしてきた。 「3-997地点、異常なし。3-999地点、異常なし、3-1000地点、異常なし、っと」 暗く生い茂る森の中、騎士の少女は大きな切り株に腰をかけて、地図に羽ペンで文字を走らせている。人間も踏み潰せそうな巨大な大木の上、各地に点在する湖沼の底、崖に存在している無数の洞窟の中まで、怪物が巣を作りそうな場所を完全に調べ尽くし、兆候が無いかを確認しなければならない。対象となるのは、人間が近くに住んでいる場所全てである。 地図に文字を書き込んでいく少女騎士の顔には、わずかに疲労の色が浮かんでいた。玉のような汗が顔中に浮かび、銀髪も汗に塗れて肌に張り付いている。魔法を多重にかけて防御力を上げている甲冑の重さは並ではないし、内側は汗で洪水のようだった。しかし、魔物が出現する恐れがある場所で鎧を脱ぐわけにはいかない。 「3-1001地点、異常なし。3-1002地点、冒険者のものと思われる白骨死体を発見、遭難したものと考えられる、回収はできなかった。3-1003地点、異常なし」 今日は既に木登りが17回、崖登りが6回、湖沼の調査が4回あった。魔物が巣を作っていないか木の頂上まで登って確認し、洞窟を調べるために断崖絶壁をよじ登り、広いダンジョンの中を隅々まで歩いて確認するのである。 湖沼の捜索は船などを使うわけではない。宝石結界術で作った球状結界の中に入って湖沼に潜り、泥のたまった湖底の隅々まで調べて異変がないかを確認する。目視だけではなく、水中で索敵魔法を数十発は発射して魔物の気配を探る。湖沼で小型の魔物が発生する頻度は異様に高いのだ。 「あとは、3-998地点だけ。よし、もうちょっとだ! 頑張れ、私!」 少女は地図を丸めて荷物入れに詰め込み、代わりに別の地図の束を取り出した。彼女が担当している洞窟の地図、湖底の地形図、巨木の位置や高さなどが詳細に記された報告書の束である。 それは、先達の女神騎士たちが何度も調査を行い完成させた、王国内の『人の目に見えない部分』の知識の結晶。ゲリラ戦で敵勢力が潜伏する可能性のある場所の把握から、魔物が人里に降りてくるルートの想定、場所から場所への移動時間まで、民を守るためのあらゆる計画や訓練の根幹になっている書類だった。 完成までの過程で、女神騎士たち、一般の兵士たち、調査に協力した民まで、多くの命が犠牲になったのは言うまでもない。それでも諦めず、未知の場所を調査する危険な作業を彼女たちがやり遂げたのは、ただ王国を守りたい一心からだ。 「3-998地点は、ここから40分ほどか。これで私の今日の仕事は終わり……食事をしてから出発しよう……んぐ、んぐ、んぐ」 地図を見ながら、皮の水筒を荷物入れから取り出し、渇いた口を潤していく。冷たいとは言い難いが、先程汲んだばかりの新鮮な水である。水を補給できる場所が分かるのも、過去の騎士たちが行った調査資料によるものだ。 「……いただきます」 騎士の少女は荷物入れから大きなパンの塊を取り出し、千切って口に押し込む。特に味も付いておらず、硬くて食べ辛いものである。別の袋からは乾燥させた果実を取り出し、干からびたまま口の中に押し込む。やはり美味しいとは言い難い。 「ごほっ、ごほっ、ごほごほっ!」 喉に詰まりそうになった食事を、慌てて水で流し込む。さらに二、三切れ、食べやすいよう水に浸したパンを無理矢理に飲み込んで食事を終えた。 「はあ……ごちそうさまでした」 早くもカサカサに乾いた唇を舐めながら、騎士の少女は出発の準備を始める。空腹感は和らいだが、食事の満足感は得られない。 しかし、戦場で美味い食事があるわけがなく、むしろまともな水と食べ物があるだけでもありがたいことである。色々な制限がかけられた食事は、森の中で数日間過ごすことを想定してのサバイバル訓練の一環である。要するに不味い物でも平気で食べれるようになれということだった。 「……美味しくない」 大規模な怪物の討伐作戦などでは数日間森の中で篭りきりになる。地図が未完成の頃は遭難したり食料が届かなかったりで、泣く泣く草や木の根を食べて体力を維持していた騎士もいたという。 本音では肉料理と甘い氷菓子が食べたいという欲求を押さえ込みながら、騎士の少女は緊張した精神を少しだけ緩めた。 「お母さんのご飯、久しぶりに食べたいな……」 民からは華やかだと思われている王宮女神騎士団だが、実際は治安維持と武力行使の過酷な部分の一切を引き受ける過酷な世界である。 騎士を尊敬し、騎士に憧れてこの世界を目指してきたのだが、民の安全を守るという過酷な仕事内容、肩に圧し掛かる重すぎる責任、そして、より激しく厳しい修練の毎日に、夜な夜なマクラを涙で濡らしている者も少なくはない。 それでも脱落していく者がいないのは、皆が騎士団に誇りを持っているからだ。 当たり前の生活を守るための。 当たり前の日々を守るための。 大切な人々を守るための。 「……」 地図を手に持ち、騎士の少女は無言でそれを読み返した。 自分が生まれ育ち、親や友人、そして自分の子供や孫がこれからも暮らしていく王国を守りたい――何の変哲も無く見える紙の束に込められた想いは、非常に重く、かけがえもない。 騎士の少女も、その想いは同じだ。 自分たちが守らなければならない、大切な人たち、大切な王国。 考えれば考えるほど、大切な人たちに会いたくなってくる。
(明日から少しだけお休みだし……久しぶりに家に帰ろう。お父さんやお母さんも、手紙ではちょっと私のこと心配してるみたいだし、何か元気付けるために、お土産を買って……何がいいかな? やっぱり服かな。それとも、珍しい薬草がいいかな。うーん……)
騎士の少女は甲冑を鳴らしながら、久々に会う両親の顔を思い浮かべつつ仕事に戻っていく。帰省するのは手続きが大変なのに、と微笑ましく愚痴りながら。 これから向かうのは最後の確認場所である。そこが何事もなければ仕事は終了し、明日には両親との再会が待っている。
『とある少女騎士の話2』 1 2 3 4 5
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