3-998地点は岩肌にぽっかりと開いた巨大な洞窟である。所々で枝分かれしていく道は総長で3300mにもなる天然の迷路であり、光源なしに歩を進めるのは不可能である。地図を持つ者でも迷い易く、生半可な準備で探検に挑んだ冒険者が度々遭難しては死体と化して戻ってくる。 この洞窟は階層構造ではないため、壁に手を当てながら歩いていけば必ず出口に辿り着けるわけだが、「遭難する者はそれを知らない」「それを知らないから遭難する」という当たり前の事実こそ最大の問題だった。 「ここで最後なんだし、頑張らないと」 騎士の少女は得意の光魔法で数個の光球体を周りに浮かべ、暗い道を照らしながら進んでいる。換気が悪く空気が停滞しやすい洞窟で、松明や火魔法の類は厳禁である。奥に進むほど酸素が薄くなり、火を使用していると酸欠で呼吸ができなくなる恐れがあるのだ。 洞窟は静かで、空気は氷部屋のように涼しい。生物の気配は存在せず、時間の流れすら停止したような濃密な闇が空間に詰まっていた。聞こえてくるのは水滴の音と自身の吐息のみで、歩いても歩いても左右に岩が広がる殺風景な景色が続くばかりだ。 水気の多い泥や大小の岩の塊の感触が、甲冑越しに足の裏に伝わる。時より天井から滴る水が少女の顔に落ちてきた。降雨、もしくは近くの川から浸透したものだろう。 「こんな洞窟、さっさと柵でも作って封鎖できればばいいのに。珍しい石とかも出てこないし、かと言って別に使い道もないし、魔物どころかネズミすらいないのに……」 騎士の少女は愚痴りながら暗闇を切り開いていく。 「洞窟だけに使い道がない、なんちゃって」 呟きに対して、当然だが反応は返ってこない。この洞窟は本当に使い道がないので、封鎖してしまえば一番良いのは確かだ。しかし、危険な場所には入らせなければ良い、というわけにもいかないのが現実だった。 天然の洞窟を封鎖できないのは多国間条約による決まりのためだ。もしも、この洞窟を閉鎖すると、その場所に秘密の軍事拠点、貴重な天然資源、古代遺跡の類があると見なされて説明責任が発生してしまう。 原則として各国は条約により「国内の洞窟はいかなる国の人間に対しても平等に内部を公開されなければならない」義務を負う。度重なる軍縮会議の席で各国の大臣が数年かけて妥協点を模索し、ようやく合意に達した有り難いものだ。 元々はいかに各国が兵力を削減して平和に近づくかを条約に盛り込むはずが、各国の主張を擦り合わせた結果、最初の目的からズレた内容になってしまった典型例である。 実際に洞窟を調べる役目の少女からしてみれば、洞窟の入り口を厳重に封鎖した方が治安上合理的なのだが、なかなか思い通りにはならないのだった。 ルールは忠実に遂行しなければならない。 しかし、ルールを作る権力は持ち合わせていない。 姫の騎士として生命を捧げたときから、既に自明のことではある。 「そろそろ行き止まりになるはず……」 白銀の鎧に濁る空気が纏わり付いてくる。湿気が異様に高く、足元には水溜りが複数あり、木の根が壁を突き破り水を吸っていた。光魔法で照らされた闇には、粉のような無数のゴミが浮かんで見える。風も吹かないような場所でも、微小のゴミは空気を泳ぐようにゆっくりと視界を移動していた。 洞窟の奥も湖沼の底も、似たような風景だと少女は思う。自分の周り以外は先も後も見えない暗黒。声が光あるところまで届かない世界。 「うっ……!?」 同じペースで進んでいた騎士の少女の足が止まり、僅かに靡いていた白いマントが背中に戻る。静か過ぎる洞窟で立ち尽くす騎士の姿を、魔法の温かな光がぼんやりと照らした。 「……ちょ、ちょっと待ってよ……こんなところで……!」 下腹部に猛烈な痛みを感じ、騎士の少女は思わず呻いた。 端整な顔を不快そうに歪め、僅かに前かがみになりながら呼吸を整える。手は無意識に握り締められ、顔にじんわりと汗の玉が浮かぶ。冷静だった顔に浮かんでいるのは動揺と困惑、これからどうするかを迫られながら、どの選択肢も受け入れられないという顔だった。 「うっ、くっ……ううっ……はあ、はあ……うっ……」 白銀の鎧に守られた腹部からは、泥と石に水を加えて石臼で磨り潰すような音が響いていた。大便とガスの移動音だ。腸を針金で締められるような激痛と連動して、排便の欲求が高まってくる。深呼吸をすると痛みはわずかに治まるが、腸の動きは止まらない。 (ま、まずい……お腹を、下したかも……) いかに鍛え上げられた精鋭の騎士と言えども、生理現象だけはどうしようもない。甲冑を着るときは体調を維持するため複数の薬草を飲んでいるが、突然の腹痛もないわけではない。 (どうしよう、ここで用を足すか……いや、もう少し待てば……治まるかもしれない……腹痛には波があるし……) ここで排便を行うならば、腰部につけた甲冑とマントを身体から外し、下半身に着込んだタイツ式の防刃パンツと本来の下着を降ろして、屈まなくてはならない。 特に難しい動作は含まれていないが、騎士の少女はここに汚物を残して帰るのは気が進まなかった。この手の洞窟は換気がされないために臭気が篭り、しばらく匂いが残ることになる。それなら動物なり虫なりが勝手に処分してくれる森の中で排便する方がいい。自分の汚物の匂いを長時間残すのは避けたかった。 (それに……やっぱり恥ずかしいし……) 上流階層の出身である少女は、野外で排便を行うこと自体が恥ずかしく思えた。もちろん遠征になれば贅沢は言えないのだが、それでも彼女が排便する場所はいつも川辺や湖沼の近くである。ちゃんと清潔な水で肛門を洗える場所がいい。小さな頃からそれが当たり前だったのである。 一度だけ、遠征で野宿をしてやむを得ず葉で肛門を処理したことがあるが、ザラザラして肌が切れそうな葉っぱで汚物を拭き取るのは苦痛を通り越して拷問だった。『遠征する戦闘要員』としての騎士の現実に、初めて本気でリタイアも考えたほどだ。当時の同年代の騎士の中でも1、2を争う剣技を持っていた少女だが、戦場の環境に耐えられない温室育ちのお嬢様では戦力にならないと思い知らされた。 未だに忘れられない苦い経験だった。 「ふう、ふう、ふう……うっ、ううっ、治まって……治まってよ……」 過去の思い出をほじくられるのと同時に、肛門もほじくられているような錯覚さえ覚える。腹部の痛みは焼けるような激痛に変わり、垂れ落ちた銀髪の隙間から覗く目には涙が浮かび、脂汗塗れの頬が震え始める。腹からは腸が動く音が頻繁に響き渡り、血の気が引いた頭は何も考えられず、口はカラカラに渇いてきた。 「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」 腰から剣を取り外し、マントを背中から外して脇に下ろす騎士の少女。汗で濡れた肛門は少しでも気を抜けば決壊してしまいそうだった。腹痛の原因は不明だがとても出口まで持たない。下腹部では圧力が加速度的に増しており、排泄穴のすぐそこまで便が押し寄せているのは明白だった。 (不本意ではあるけど、ここで用を足すしかないわ……) 呼吸を整えながら、騎士の少女は汗が浮かぶ顔を強張らせて腰のパーツを外し始める。落ち着いても数分かからない行動だが、今は1分1秒が惜しい。指先が甲冑の固定部と格闘し始め、ガチャガチャと乱暴な音が暗闇に響き渡る。しかし、焦った指先はなかなか甲冑を外せない。あまり指先に意識を集中させると肛門が決壊しそうになり、追い詰められた精神が更に掻き乱された。 それは意識できない一瞬の緩みだった。 「あ……」 騎士の少女の動きと思考がほぼ同時に停止した。 腹痛が微かに治まると同時に、排泄穴に冷たい感触が広がる。必死に尻を引き締めていたが、液化した便がとうとう漏れ始めたのだ。汗で蒸れた純白の下着に茶色い染みを広げる悪夢に、騎士の少女は思考停止から抜け出せない。身体中の熱量が一気に消えていくような寒さを感じながら、立ち尽くすことしかできない。 「あ……あ……ああああっ!? う、うそっ!」 一度決壊してしまえば、もう止めることはできない。下腹部の圧迫感が倍以上になり、ガスといっしょに液化した便が噴き出してきた。流れ出る汚物の勢いと量に、肛門は焼けるような熱さと痛みを感じる。これまで聞いたこともない音も奏でた。 「やっ! やああっ! 止まってええええっ!」 ブリブリ! ブボッ! ブボボッ! ビチビチビチ! ブウウウゥゥゥ! 「いっ、いやああああああ――っ!」 必死に肛門を締めようとするが、騎士の少女の尻は痺れたように力が入らず、溜めた汚物を吐き出し続ける。暗い洞窟に放屁の音はひたすら大きく響き渡り、少女騎士の金切り声がそれを打ち消した……。
『とある少女騎士の話2』 1 2 3 4 5
|