300年前――この国で、1つの大きな戦いがあった。
薄暗いその道は、肺腑に粘りつくような澱んだ空気で満ちていた。壁は女体の柔肌とは対照的なごつごつとした岩が剥き出しになり、足元には湿気を帯びた泥が厚く溜まっている。 人里を離れること十数里、魔物の棲処が存在していると近辺で慄かれていた伝説の瀧。その裏に隠されていた洞窟こそ、一帯を支配する大名の城へと続く秘密の通路なのである。 数多もの罠が仕掛けられた迷宮を突破するよりは、こちらの洞窟を攻略するほうが目的地には容易く着ける。 その暗澹とした迷宮を、2人の少女が指にゆらゆらと白い炎を灯しながら進んでいた。美しい形の爪に灯る炎は、けっして肌を焼くことはない。この時代では「妖の血が為す奇蹟」と恐れられているそれは、数百年後に「魔法」という言葉で表される現象に他ならなかった。 火の魔法を操る少女たちは、髪を短く切り揃えて可憐な衣装を纏い、くりくりとした丸い瞳と柔らかそうなほっぺが愛らしい双子の姉妹だった。姉が澪(みお)、妹が麗(れい)という。 今は愛らしい子猫のような風貌だが、将来は美しい女性に成長することは間違いない、端整で上品な顔立ちである。 彼女たちは、男を受け入れていない処女の肉体を山の湧き水で清めた上で、魔を払う文言を細やかに編み込んだ朱色の衣を身に纏っていた。風が吹けば飛びそうな衣を肉体に繋ぐように、軽さと硬さを併せ持つ深緑の胸当てを付け、成長途上のなだらかな膨らみをしっかりと護っている。 腕には橙の籠手が光り、握られるのは姉妹専用の破魔の神鉾と聖槍であり、これまで幾多の魔物を屠っている。腰からは満開の花弁を逆さにしたような桃色の装飾布を翻し、そこから伸びるしなやかな足には、膝まで覆われた純白の長足袋が履かれていた。 一族に伝わる伝統的な装束である。遠い未来にこの国で、スカート、または、ニーソックス、と呼ばれる衣服にそれらは類似していたが、奇妙な偶然というしかない。武装しながら美しさを失わない、彼女たちは言い伝えに現れる天女を思わせた。 「このまま行けば奴の城の中に出られるわね、麗」 「うん、澪姉。でも私、足手まといにならないかちょっと不安」 「大丈夫、力を合わせれば、きっと勝てる。これまでも頑張ってきたじゃない」 澪は、麗を励ましながら洞窟を進む。 一歩進むごとに足が泥に沈み、足袋に冷たく染みこんできて不快だが、それぐらいどうと言うことはない。 向かう城にいる大名は、彼女たちの親の仇なのであり、大名に滅ぼされた術使いの一族の、唯一の生き残りである。姉妹は術者としてはまだ未熟だが、姉妹ならではの連携戦法で未熟さを補い合い、ついに仇討ちまで後一歩まで達していた。 しかし、敵の大名にも強力な術の使い手が付いていると聞く。この戦いでの苦戦は覚悟の上だ。 そのとき、壁を覆っていた闇が、擦れる音を立てて蠢き出した。 壁を覆い尽して洪水のように押し寄せてきたのは、数千、いや、数万匹という、獰猛な巨大なムカデの大群だった。ネズミも一口で食べてしまいそうなほど太くて長く、ぎらぎらとした鋭い牙を突き出している異形の蟲だ。 赤褐色の甲冑を思わせる質感の胴を乱暴にガチガチとくねらし、壁を削り取らんばかりに擦れる音を立てながら、前後から、左右から、壁を黒く覆い迫ってくる。まさに悪夢としかいいようがない光景は、敵の術者の攻撃とみて、間違いない。 「罠だわっ! 麗! 結界の準備を!」 術者との戦闘では、これぐらいの異変は日常茶飯事だ。姉妹はそれぞれ、専用の神鉾と聖槍を振り翳し、迫り来る蟲たちを遮断する結界を構築しようとする。時間稼ぎをしている間に強力な火炎の術を唱え、一気に焼き尽くすのが最善と考えたのだ。 しかし、足元で異変が起こる。足元に溜まった黒い泥から、湧き出してくるように同じムカデが現れてきた。泥から生まれたムカデたちは数百匹はおり、それに呼応するように泥自体が突然、ムカデの大群に化ける。 神鉾を振り上げた澪が、自分の足を這い上がらんとするムカデの群れを見て、驚愕と思考停止の呻きを漏らした。聖槍を持った麗も、自分の足元に集るムカデに気付き、蒼白になって硬直してしまう。 「きゃあああっ!」 泥自体が既に敵の術の一部だった。結界を張って蟲を防ぐどころか、彼女たちは既に蟲の大群の中に文字通り足を突っ込んでいたのである。 ムカデの群れが姉妹の足に群がり、2つの絶叫が重なり洞窟に反響する。 ムカデたちは姉妹の足に無数の脚を食い込ませ、一斉に肉体に這い上がり始めたのである。 「ぐううっ! うぐう、ううう……」 硬質の胴はカンナのように肌を剥いて削ぎ落とし、鋭い牙や爪は皮膚の深くまで突き刺さり、内の肉を掘るように乱暴に抉り返す。姉妹の足から、血が滝のように流れ出した。 長足袋は刀も防げるよう術を仕込んだ戦闘衣だが、ムカデの刃は易々とそれを貫いて姉妹の肌を抉る。足袋は瞬く間に引き裂かれて襤褸布と化し、傷から流れ出した血液で黒く染まった。 足の爪をバリバリと噛み砕かれ、指の肉を食われていく激痛が、電流のように姉妹の全身を貫いた。皮膚を裂かれて肉を神経ごと掻き出され、もう指の感覚も何本か無くなっている。骨まで削られているのかもしれない。 「あんたたちの餌になって、たまるものですか! 麗! そっちは大丈夫?」 澪が神鉾を振るって足元のムカデたちを蹴散らすが、払っても払ってもムカデの数は一向に減らない。それどころか後から後から増殖していく感さえある。こちらが押し切られる前に、何とか脱出する方法を考えないといけない。 「う、うん……、ぜ、全然へっちゃら!」 足を鮮血で染めながら、麗も何とか柔肌に食らうムカデを払おうとする。どれだけ不利な状況でも、諦めなければ希望は必ず存在する。姉との苦闘の旅の中で、彼女はそれを学んできたのである。元より、この洞窟に入った時点で、五体満足で帰れるとは思っていない。 「お前らなんかに、負けるもんか――!」 ムカデの大群を蹴散らさんと、闇の洞窟で少女たちの神鉾と聖槍が煌く。しかし、その光さえも覆わんばかりに蟲の大群は増殖を続け、彼女たちの足を蝕んでいった。一匹一匹の力は微弱でも、切り裂かれた少女たちの足は確実に筋肉の繊維を断たれて血を失い、痛みと痺れはゆっくりと脳を焦がして判断力を奪っていく。 「はあ……はあ……いい加減に……諦めてよぉ!」 足元のムカデの山に聖槍を突き立て続けながら麗は涙声で叫んだ。血と蟲に塗れて焼けるような痛みを感じていた足は既に感覚がなく、逆に背筋にかけてぞくぞくと悪寒のようなものさえ覚えている。ムカデたちは払えばすぐに落ちるが数が多く、槍でいくら突き殺しても後から後からわらわらと湧いて足に纏わりついてきた。 (やっぱり、澪姉に助けを……ううん、ダメ! それはできない!) やはり抵抗を続けている姉の澪も苦戦しているようだが、麗よりはダメージが軽い。麗は澪に戦闘力で劣っており、それは本人も認めている。これまでも、麗が敵に追い詰められて澪が助けに入り、2人とも危機的な状況に陥る場合が多かった。 澪は気にしなくていいと言うし、実際に麗が澪を助けたこともある。 しかし、麗が足手まといなのは事実だった。澪にしてみれば妹の麗は唯一の家族にして仲間であり、精神的にいつも自分を支えてくれる存在なのだが、麗は自分が姉の足を引っ張ってしまうことを気にするあまり、姉の真意を理解することができなかった。 せめて、この最後の戦いだけは澪のお荷物になりたくない―――そんな気持ちが麗を駆り立て、澪に助けを求めることを拒絶していた。もう少し耐えてこの状況を抜ければ、傷を術で癒すこともまた可能だという判断もあった。澪も苦戦しているのに、自分も守ってくれとは言えない。 (お前たち相手ぐらい……澪姉の力を借りなくても、、私一人でも戦える!) ムカデの大群の隙間、自分の足からぴゅうぴゅうと鮮血が噴き、蒼白になった手がガタガタと震え始める。自分のダメージが、もう澪に助けを求めなければどうすることもできないぐらい進んでいるにも関わらず、麗は気力で戦いを続け―――そして尽きた。がくん、と糸が切れるような感覚と同時に、麗の足はひざから折れて崩れ、下半身はムカデの山に没する。 腰の装飾布の中にムカデの大群が侵入して蒼い腿を肌を切り裂き、純白の股布まで這い上がる。下半身を呑み込んだ小さい敵の感触と気配が頭の先まで届いた瞬間、麗は嫌悪と恐怖の余り意識が飛んだ。それは刹那の一瞬であったが、致命的な一瞬でもあった。 (聖槍が!) 自分の手から離れ、からんからんと転がっていく聖槍の音が、どこか遠くの世界のように聞こえた。 ムカデが一匹、跳ねるようにして顔に張り付いてきた。麗の右耳から頬にかけてムカデが這い始めようとするのを、麗は手で握って反射的に引き離そうとする。 「ぎゃああああああああああああああ!」 ムカデといっしょに頬の皮膚がべりべりと剥がれる。一瞬、手の力が緩んだ隙をついてムカデは動いた。ぐちゅりと嫌な水音を頭蓋の中に残して、ムカデが麗の右目に潜り込み、眼球を噛み潰していた。視界が急に狭まり、麗は人形のように硬直し、それは激痛によって解かれた。 指の味も知らない性器に、硬いムカデが乱暴に侵入してきた。股布を引き裂かれて剥き出しにされた花弁は、複数のムカデを生やしながら分泌液と血を垂れ流している。 ムカデたちは女汁で溺れながらも膣粘膜を赤く耕し、奥へ奥へと侵攻する。心そのものを打ち砕かれるような激痛に、麗は絶叫した。手で、陰部に群がるムカデを払おうとするが、手にも次々と噛み付いてくる。 麗は、いざとなれば自分を見捨ててでも先に進んでくれと、澪に話していた。しかし死の覚悟も、矜持も、想像を超えた苦痛の前に脆くも崩れ去る。破瓜の血で染まった陰核をガリガリと噛み砕かれ、肛門の穴にまで侵入されたところで、麗の心は完全に折れた。 「あ゙あ゙あ゙っ! 澪姉! 助けてえええ!」 眼窩と性器からムカデを生やした麗の悲痛な声が、暗い洞窟に爆ぜるように響く。
『救世主ミリルのお仕事』 第2章 −花の騎士の誕生− 2-7「滅びの花」
『救世主ミリルのお仕事』 第3章 −甲世の城(前) 歴史の分岐点− 3-1「蟲の穴」 (現在ページ) 3-2「甲世の城」 3-3「鈴虫」 3-4「歴史の分岐点1」 3-5「歴史の分岐点2」 3-6「歴史の分岐点3」 3-7「蟲の海、白き炎」 3-8「蟲の海、煌く炎」 3-9「蟲の海、目覚める炎」
|