暗い洞窟は蟲で満ちていた。 他の動物の血肉を貪りながら成長し、毒々しい色の身体を絡ませ合い、擦り合う大群の音が聞こえる。小さな石がお互いを噛み合うような音を立てながら、肥え太る胴体をくねらせて、海原のように広がり、波のように押し寄せてくる。 凶暴で硬いムカデの大群が、前からも後ろからも、押し寄せてくる。もう足は彼らの毒々しい色に呑まれている。ふと見た手の中では赤色と黄色のマダラが指にくるくると巻き付いて遊んでいた。 必死に振り払おうと足掻く度に、天井から顔や肩にムカデが雨のように落ちてきた。身体中を覆い尽くすように這い上がる大群は、その仮定で柔肌を全て剥ぎ取り、牙で存分に肉を食い散らかしていく。悲鳴を上げるが、助けは来ない。顔中に張り付いてくるムカデを必死に払いながら、何とか出口は無いかと探す。 「ぁ……あ……ぁぁあ……た、す……けて……え……ぇぇ……」 目の前に一人の少女が立っていた。体中の肌を剥がれた状態で、肉という肉にムカデが食い込んでいた。針鼠が針を立てるようにムカデを全身から生やしていた。乳房も性器は勿論、眼窩や鼻腔からも蟲の華を咲かせている。もう振り払う力も無いのだろう、ムカデに好きなように貪られるままだ。 少女はこちらに手を伸ばして、蟲の海の中を一直線に向かってきた。骨を剥き出しにした足で蟲を掻き分け、盛大に身体を揺らしながら迫ってくる。 「……澪、ねぇ……たすけ……て、ぇぇ……!」 少女の名は麗という。このような姿になろうとも間違えるはずが無い。たとえ顔が食われて入れも皮膚が剥かれていても、蟲人形と化していようと声が潰れていても、間違えるはずがない。なぜなら、彼女は、とある城で蟲に食べられて死んだ、妹なのだから。『妖の血の奇蹟』と呼ばれる、炎を操る一族の血を分けた姉妹なのだから、間違えるはずがないのだ。 そうだ、彼女は、麗は死んで、もうこの世にいないのだ。 地獄のような場所で、永遠に届かない国へ旅立ってしまったのだ。 彼女が死んだ場所。 あの忌まわしい、かぶとよの城が――。
………………… ………
「……ここは、どこなの……?」 目が覚めた澪の視界に広がるのは、木で作られた高さの乏しい天井だった。全身が岩にでも変わったように重くて、手足すら動かすことができず、鈍い痛みが伝わってきた。極度の疲労と怪我が原因だと自覚する。 ここで初めて、澪は自分が泣いているということに気付いた。その瞬間に全ての記憶が蘇り、一気に自分の頭の中に現実が流れ込んでくる。妹の麗。一族のみんな。跋扈する魔物たち。ムカデの大群。蟲使い。そして、自分の一族を皆殺しにし、国中に蔓延る魔物たちを生み出し、そして妹の麗さえもその手にかけた鬼畜にも劣る敵、甲世氏。 その恐るべき敵に姉妹で挑み、そして敗れた――。 「ああ、良かった。気が付かれたのかい? 娘さん」 老いた男は釜に火を起こしながら朗らかに笑って見せた。澪は後で知ることになるが、彼こそが山で倒れている澪を発見し、麓の村まで運んでくれた人物だった。戦場と化した甲世の城から5つも山を越えてきたことも分かった。無我夢中で敗走している最中、澪は自分の予想さえ超えた距離を移動していたのだ。 「もう少し見つけるのが遅かったら、そこらの獣の餌になるところだった」 老人が笑いながら食事の支度をしている中、澪は起き上がろうとして身体を支えきれず倒れた。しかし、こんな場所で呑気に寝ているわけにはいかない。澪は一族の仇を討つという重大な使命があるのだから。 「運よく助かっていても、もしも今あそこで寝てると、甲世様と周りの大名様の戦に、巻き込まれていたかもしれん。あの辺は今、隣の大名様の手勢が沢山おるでの」 起き上がろうとしていた澪の動きが、それを聞いてぴたりと止まった。 「い、戦……? 甲世が、他の大名と……?」 「ああ、奇襲じゃよ、奇襲。甲世さまの周りにいる4つの大名さまが手を結んで、一気にここらに攻め入ってきた。噂ではの、この山をいくつか越えた城に甲世様はいるらしいが、兵はわずか500ほどらしい。対する大名様方の兵の数は10万を超えているという話だ。これでは流石に勝負にならんよ。あの甲世様もここまでだ。民を殺生したばちが当たったということだな」 「か、甲世が、戦を……しかも、負けそうだというの……あの化物が」 ここで澪はようやく、自分が思うより長い時間を眠っていたことに気付いた。そして、自分の仇が戦で劣勢だという事実を受け入れるでもなく拒絶するでもなく、ただただ呆然とするだけだった。 「甲世が、滅びる? そんな馬鹿な……」
………………… ………
暗く茂る森の中を、足軽の鎧を着た少女が一人歩いていた。鎧は少女の村で死亡した甲世の兵から剥いだものだ。 突然押し寄せてきた甲世の兵たちに対して、村人は果敢に応戦し、数十名を殺害した。しかし、あまりに多勢に無勢だった。大規模な人狩りにより、結果として少女以外の村人は全て連れて行かれた。一帯の領主である甲世直政は噂によると邪教に身を堕としたらしく、夜な夜な民を生贄として何かの儀式を行っているという。話には聞いていたが、まさか本当に人狩りを行っているとは思っていなかった村人たちは、ある意味で愚かだと言えた。 「……みんなの仇は必ず討ってやる」 顔中に泥を塗って長い髪を切り、女であることを隠した少女は、刃の欠けた刀を持つ手に力を込める。今、この山を越えた先では、数百の甲世の軍と十万の諸大名の軍が対峙しているはずだった。いくら甲世でもこの戦に勝ち目はなく、軍はいずれ総崩れとなるだろうと少女は踏んでいる。 その瞬間を見計らって、足軽に扮した自分が大将に近づき、思い切り刃を突き立ててやるのだ――そう少女は想う。戦場で女に殺された大名としての辱めを与えながら、思い切りその身を切り刻んでやるのだ、と。 ただ、どうして城があるのに籠城しないのかは疑問だった。数に差がある場合は城に籠城して戦うのが定石のはずだが、甲世は手勢を率いて城を出た。狂人の思考を読めという方が難しいのかもしれないが。 そのとき、空から何かが近づいてくるのが見えた。最初は鳥かと思ったが、それにしては妙に大きい。それが視界にはっきりと映るようになって、少女は悲鳴を上げた。 「きゃあ!」 それは決して存在しないはずの人間であり、動物でもあった。人間の少女の形をしており、服は着ていない。育ちは良いのだろう、端整で垢抜けた顔立ちをしているが、足軽の少女にはそれを美しいと思うことができなかった。剥き出しになった乳房や性器にも視線は向かない。 気になるのは、その少女の背中には鳥のように翼が生えており、手の指は異様に長く本数は3本しかないことだ。そして、全身に炎を纏っていた。まるで燃えている服を着るように炎を侍らせているのに、しかし綺麗な白い肌は焦げ跡も付いていない。まるで熱くないようだった。 それは人間ではない。決して人間と呼べるような存在ではない。 「お前、私を見たな」 炎を纏う異形の少女は手の中に眩しく光る炎の玉を生み出して、足軽の少女に投げつけようとする。それが足軽の鎧で防げるかどうかも考えることもできないほど、その光景を見せ付けられた側の思考は麻痺していた。 「お止めなさい」 聞こえてきたのは、幼い少女の声。ちりんちりん、と鈴の音が鳴り響く。森の茂みの中に、一人の少女が立っていた。赤い着物と草履を履いており、軽い身のこなしで飛び跳ねるように、足軽と異形の少女の間に割って入る。髪の毛には大きな二つの鈴が付けられており、音はそこから発せられていた。赤い着物を翻すその少女の姿は、まるで巨大なチョウチョウがいるようだ。 火を操る異形の少女は、鈴の少女の制止を聞き入れて炎の玉を消した。そこには主従に近い関係が存在しているように見える。 「驚かせてしまい、申し訳なかったわね」 鈴の少女は足軽を見て、にっこりと無垢に笑う。 「私は鈴虫。綺麗な声で鈴鈴と鳴けないけれど、鈴虫という名前。この地を治める甲世直政の娘。いずれ、ここの地名でもある「甲世」の名から作られる「甲世幕府」において、二代目の将軍となるべく生まれたもの」 「え、あ……」 足軽の少女はようやくその言葉を搾り出すことができた。あまりに異様な光景に気圧されていた。 「この娘は父上が捕まえた領民を人間を改造して作った生物。父上がとても愛された炎使いの姉妹の再現を目標に作られた実験生物。だけど、どうしても姉妹のような炎使いにすることができなかった。だから殺されるところだったけれど、可哀想だから私が助けてあげたの。まあ、私も飼うことはできないから野に放つことになるのだけど」 鈴虫は狂気としか思えない内容をすらすらと答える。その言葉は、多くの人間を邪教の儀式の生贄にしているという噂と、多少の整合性を持つ内容であったが、足軽の少女にそんなことを考える余裕はなかった。 「……ウソよ。お前の言っていることはウソだ。そうに決まってる!」 足軽の少女は折れた刀を鈴虫に突きつけて、そして怒鳴った。 例えそれが真実だとしても、それを認めるわけにはいかなかった。有翼の異形を見ていても、その話を肯定することはできない。家族はみんな実験台にされてしまった。友人もみんな実験台にされてしまった。その理由が半分化物のような連中の実験材料など、認められるはずがない。そんな馬鹿馬鹿しいことのために家族や友人が犠牲になったとしたら、あまりにも惨め過ぎた。 そして、それが本当だとするならば、足軽の少女は目の前にいる鈴虫を斬って捨てなればならない。彼女は甲世の血を継ぐ怪物だ。異形の存在。罪深い命。 「私の言うことはみんな本当なのに。まあ、信じられないのも無理はないと思うけれど。貴女には知識も何もないのだからね」 「仕方がないですよ。こんな、ただの人間に」 鈴虫と有翼の異形はくすくすと無邪気に微笑んだ。自分を殺そうとしている人間を目の前にして、子供のあどけない顔で、邪気の一切を無くして。 「でもね、もうすぐ分かるよ。もうすぐ、この国は人間のものではなくなる。甲世を頂点とした魔法改造人間が国を支配する歴史が、すぐそこまで来ているのだから。紛れもなく今日、もうすぐ、そして、未来永劫に」 「うるさい! うるさいうるさい! ウソだ! そんなことは! そんな物の怪みたいな力を持った人間がいるなら、世の中、とっくにおかしくなってるはずよ!」 鈴虫は優しく微笑んだ。 「くすくすくす。だから、これからおかしくなるんだって」 数百人の甲世軍と十万の諸大名軍の合戦。それが日本で初めて起きた魔法改造人間と普通の人間の武力衝突であることなど、足軽の少女は知る由もない。後世の記録には記録には残らない歴史の転換点であることも。 「もうこの国はお前たちのもではないのよ。劣等種の人間」
『救世主ミリルのお仕事』 第3章 −甲世の城(前) 歴史の分岐点− 3-1「蟲の穴」 3-2「甲世の城」 3-3「鈴虫」 (現在ページ) 3-4「歴史の分岐点1」 3-5「歴史の分岐点2」 3-6「歴史の分岐点3」 3-7「蟲の海、白き炎」 3-8「蟲の海、煌く炎」 3-9「蟲の海、目覚める炎」
|