炎に包まれる都市の中で、逃げ惑う人々と魔物の群れが戯れていた。 怪物たちは爪で人々を裂いて内臓を引き出し、炎で焼いて溶かし、冷気で凍らして舌で舐めている。凍結した人間の皮は焼鳥の皮と同じで、血は甘い果汁になる。 食卓のサラダを飾るプチトマトを摘み、洋酒の肴に黴たチーズを齧るように、談笑しながら人間の頭をバリバリと噛み砕き、乳房の間から骨を取り出し、頭蓋の中身を吸い出していた。 海老も人間もやはり、そのものの味がするのは味噌なのだろうか。人間に近い味覚では判断できないが、魔物たちは肯定するかのように味噌を好んで食していた。 ふと目線を下げてみると、よく知った少女たちの姿が近くに見える。1人の少女はスライムに包まれた状態で消化され、肉と内臓を粘液中に広げながら魔物の中でまだ生きている。 横では別の少女が着ていた鎧を剥がれて獣人の群れに踏み潰され、肉体が半分ミンチの状態で苦しんでいた。 別の少女は華麗な金色の兜を付けたまま首を捻じ切られ、苦悶を張り付けて絶命した頭部は魔物たちに蹴り転がされて土に塗れている。 彼女たちは、この世界の勇者とその仲間たち。 聖少女と崇められて世界を光に導く運命を背負う勇者こそ、今は魔物に蹴られて転がる首だけの美少女である。半分ミンチの少女は彼女を援護していた少女剣士であり、スライムの中で溶けているのは天賦の才を持った格闘家の少女だった。 しかし、優れた戦闘能力を持つ少女たちも、生物兵器と化して完全に制御された数万の魔物と、強力な異能を持つ人間の改造種「魔法改造人間」に敗れて処刑されている最中だった。 最後の希望だった勇者のパーティが壊滅したことで、人々の最後の拠点は怪物たちに押し潰されつつあり、滅亡の足音が聞こえてきている。 「はっはっはっはっはっはっはっはっは!あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」 聞こえてくるのは、自分の笑い声。 大好きな美しい世界を破壊する快感と興奮の美酒に良い、人々を守ろうとした勇者たちが朽ちていく姿を眺めながら、けたたましく笑い続けた自分の声。楽しい。楽しくて楽しくて狂い死にしそうな、身体が爆発しそうな、美しい魂を嬲り尽くす快楽の享受。 もう自分は止まることができないのだ。この世界の美しさと気高さを併せ持つ最後の勇者を処刑してしまった以上、自分の欲望は新たな獲物を探して動き出す。 「ねえ、お前もこの光景を見たかったのだろう? 思う存分見るが良い!」 手に握られているのは、羊の角が生えた黒髪の少女を縛る鎖。しかし、繋がれた少女は清流に住まう小魚ほどの抵抗も示していない。手足を切断されて内臓を抉り出され、全身から刃と針を生やして絶命しているのだから当然か。 彼女は恐怖の大魔王。幾多の魔物を操りこの世界を支配しようとした暴君である。私に協力するように命令したのだが、拒否するどころか私を殺そうとしたので、逆に子分共々八つ裂きにしてやった。 「この程度で死ぬとは不甲斐ない。大層な名前が泣くわよ」 戦いに敗れて拷問死を遂げた魔王の亡骸、魔物たちに嬲り殺しにされていく勇者パーティの末路、それが現実の世界。天才的な頭脳と膨大な魔力を持つ私にとって、勇者陣営と魔王軍を共に壊滅させるなど造作もないことだった。 「はっはっはっはっはっはっはっはっは!あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」 もっとも、只の貧弱な魔法使いとしか見られていなかった私が、このような革命を起こすとは誰も予想してはいなかったが。しかし、もういい。我慢をするのは止めた。この大好きな世界を破壊する快楽に勝るものは無い。涎を垂らして目の前の飴玉を我慢していた分、反動は大きいのだ。 「さて、この世界は何も無くなってしまったし、行くとしよう。私が見つけた安住の島国――」
それは、現実とは位相の異なる現実で起きた悲劇。 地球が存在する世界が戦争を行いながらも発展を続ける中、別の世界が完全に滅亡した。 しかし、その世界を滅ぼした存在にとって、そんなことはどうでも良かった。なぜなら、別の世界には今の世界のどの国よりも夢を叶えるのに適した国があったのだから。
「さあ、私の夢の国を創りに行こう――ニッポンと呼ばれる国へ」
………………… ………
「ああ、懐かしい夢を見てしまったわ」 黒衣の魔法少女は、笑みを刻んだ黄金の仮面を付けたまま夢の世界と現の世界を旅していた。 回復魔法を脳味噌に直接施すことで疲労を取り、快感が思考を乱して起きながらに夢を見せているのである。夢と言うよりは記憶の残像に近い映像だが、彼女はそれを夢と呼んでいた。 風が吹くと黒衣のマントが海原のように波打ち、黄金の仮面からは風の心地良さに感歎する呻きが漏れる。春夏秋冬がある島国の気候は実に快適で、彼女は計画を進めながらも積極的に季節を愉しんでいた。 そして今、まさに天下統一に動き出そうとしている戦国大名、甲世直政の居城の上から眺める景色は絶景だった。下界では数百人の甲世軍と10万を超える諸大名軍がまさに激突せんと陣を成している。まさに後の天下を決める合戦を、城の頂上という特等席から観戦できるのである。 そのとき、吹いてくる風に異物が混じった。 黒い霧のように空に湧いたのは、全長1メートルはある巨大なトンボの大群だった。 成人男性の腕ほどもある巨大な腹部をくねらせ、木の板を叩き合わせるような音を上げて羽を振動させ、宝石のような巨大な複眼が地上の人間たちを捉える。目標は甲世軍ではなく、敵対する10万の諸大名軍だった。 人間さえ餌にする肉食獣と化した巨大トンボの群れは、地上の人間を貪ろうと鋭い顎を開いて奇声を上げ、雨霰と急降下を開始する。蟲の動きには諸大名軍を殲滅するという明確な意思が見られた。それは、地上の合戦が既に人間対人間の戦いではないことを如実に示している。 「さて、空から襲い来る敵に対して諸大名軍はどう出るのか」 そう呟いて嗤う黄金仮面の視界に、空を切り裂いて飛ぶ光の矢が飛び込んできた。 それは諸大名軍の陣営から何千何万発と上空に向けて発射され、襲い掛かる巨大トンボたちを次々と撃ち抜いて墜としていく。地上からの攻撃に、巨大トンボの群れは散り散りになって逃げ出した。 それは恐るべき巨大昆虫の群れの、あまりにあっけない退散だった。 「あらあら、お見事」 「お尋ねしたいことがございます。黒衣の客人よ」 「…………」 黄金仮面の背後に現れたのは、顔に黒い布を巻いた小柄な男だった。 小さな身体にボロ切れの服を着ているが、腕や足など肌の様子はまるで分からない。なぜなら彼は蟲を服の中に大量に這わせており、肌という肌が百足、毛虫、芋虫、油虫、天道虫、蟷螂、蜘蛛などで覆い尽くされていたのだから。 男の名は弥助、甲世直政に仕えている蟲使いの異能者である。 「別に私に遠慮をする必要はないわ。確かにお前や甲世直政に目をつけ、魔法改造人間に創り変えたのは私だが、お前たちの能力は自身の過酷な修行により生じたもの。私はただ人間という花壇に可能性の種を植えただけに過ぎない。お前たちは既に私から独立している。もう種でもないのに、水をあげる必要もない」 「ならば、遠慮せずにお尋ねする」 弥助は平坦な声で、眼前の黄金仮面に素朴な疑問を尋ねた。 「なぜ、敵対する大名たちの兵にまで異能を授けられたのか! 諸大名軍の巫女が使用している能力は、間違いなく貴女様から授けられたもの! 黒衣の客人よ、貴女様は親方様の敵なのか、味方なのか!」 「敵だと言えばどうする?」 「不本意ながら、持てる全ての蟲を用いて貴女様を討ち滅ぼす!」 僅かに緊張した声で弥助は黄金仮面にそう告げた。実際、彼が操る全ての蟲を用いたところで彼女の暗黒の衣を貫くことはできない。しかし、弥助は甲世に使える術者として、主の敵の存在を許容するつもりはない。それが主の脅威になるのなら尚更である。 「はっはっはっはっはっはっはっはっは!あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」 黄金仮面の大笑に驚いた弥助は、思わず一歩下がる。 「このクリスタルが、敵の戦うためのものだと思ったのかしら?」 黄金仮面の黒衣から、赤、青、緑など、七色の大小無数の石が飛び出して宙を回り始める。それは、気がついたときには国中に分布していた奇蹟の石だった。 石を装着した衣服は強固な鎧に変わり、身体能力および精神力も強化される。 正義感の強い少女しか使えないのが欠点だが、戦闘訓練を受けていない普通の少女が一騎当千の少女戦士になり、人間は愚か怪物を相手にしても戦闘が可能になる。 ピストルではなく火縄銃というこの時代において、その魔石は軍事的なパワーバランスを突き崩すのには十分すぎる破壊力があった。 甲世と敵対する諸大名軍10万の中にいる巫女約3000人のほぼ全員がこの魔石を所持しており、直政が生み出した蟲と互角以上に戦える能力を有している。彼女たちの戦闘能力は先ほどの巨大トンボの群れを壊滅させたことからも、油断できるレベルではない。 加えて、その魔石を相手に渡したのが他ならぬ石の開発者であり、甲世家に魔法改造人間の力を与えた黄金仮面自身なのである。子供たちに武器を与えて争わせるような言動を、弥助が不快に思うのは当然だった。 しかし、黄金仮面はそれをさらりと受け流す。 「お前はそれでも、あの甲世直政の僕なの?」 「な、何!? それは、どういう……」 黄金仮面は弥助を嘲笑するように問いかけた。彼の忠誠心と能力を黄金仮面は高く評価している。しかし、思想ではまだまだ黄金仮面や甲世直政には追いついていない。 「甲世直政は悦んでいたわよ。防御力と自己修復能力を備えて、滅多に死なない少女の戦人の集団、しかも全員が不屈の正義を志し、戦いに勝てば乱世が終わると信じている宝石たち。私のクリスタルに選ばれるのは、そういう人間であり、それを好きなようにして良いのだから」 弥助の周りにいる蟲たちが、黄金仮面に怯えるようにざわめき始める。弥助自身も黒衣の怪人から漂う強烈な悪意に気圧され始めていた。 「良いか、弥助よ、私はな――」
「なかなか壊れない、ほどよく頑丈な玩具をお前たちに与えてやったのだ。壊すことで遊べる玩具は、壊し易いと面白くない。魔法改造人間もクリスタルも目的であり手段でもある。全てはこの美しき島国を、さらに素晴らしいオモチャの国に創り返るための、目的であり手段である」
「気高く美しい花々が汚され、蹂躙され、苦しみながらも滅びず、そして悪意は進化を続け、増殖し続け、揺るぎ無き普遍となる。針の山が天に向き、血の池が赤く蠢き、汚物の沼が命を呑み、灼熱の釜が沸き立ち、砂漠と、暗黒と、極寒と、角を生やした異形が跋扈する、『地獄』と呼ばれる場所を生み出した人間の想像力は、この国で更なる高みに昇ろうぞ」
「私は、いや、私たちは神となって、この島国を楽園に創り変える。そのために私は正義と悪を生み出そう。不敗の悪と不勝の正義を。しかし、私はこの世界では異物。この島国を創り変えるのは、やはりこの島国の住民こそが望ましい。だから私は試行錯誤の果てに選んだのだ、甲世という、私が永遠に遊べる国を創れる大器を」
「永遠に続く悪夢の国で、永遠に苦しみ続ける美しい精神を、私たちは永遠に愛で続けるのだ。いつの日か、正義の少女戦士たちと魔物たちが島国のあらゆる『系』に完全に組み込まれ、地球規模の変動を経て世界が完全に安定することを、私は何百年でも待ち望む。その時代を生きているであろう、私と欲望を分かち合う同志たちと共に」
甲世の城の最上部で、黒衣の怪人と異形の蟲使いは目撃する。地上では鬨の声が上がり、甲世軍と諸大名軍がその距離を詰める瞬間、日本の歴史には何百という選択肢が生まれ、爆発の炎が収束するように、一つの確固たる流れに定まっていくのを。
『救世主ミリルのお仕事』 第3章 −甲世の城(前) 歴史の分岐点− 3-1「蟲の穴」 3-2「甲世の城」 3-3「鈴虫」 3-4「歴史の分岐点1」 (現在ページ) 3-5「歴史の分岐点2」 3-6「歴史の分岐点3」 3-7「蟲の海、白き炎」 3-8「蟲の海、煌く炎」 3-9「蟲の海、目覚める炎」
|