風は強く吹き荒れて雲は流れ行く。 天の動きは加速し、地の震える音は巨大な生物の唸り声のようである。 「逃げなきゃ……せっかく、鈴虫様が逃がしてくれたんだから……」 吹き荒れる風に抗いながら、背中に生えた翼を動かして空を泳ぐ少女のようなモノがいた。その生物は一糸纏わぬ姿で背中から紅い翼を生やして、手足の指は3本しかない。 我慢していた涙は今や止め処なく流れ、頬に幾重の筋をつくり落ちる。顔は赤く表情はくしゃくしゃで、鼻水も流れて嗚咽で喉が動く。恐怖で泣いているのではない。彼女を産み出し、これまで育ててくれた異形たち――彼らと別れるのが悲しく泣いているのだ。 人間には理解されない甲世家の人間の愛や異形たちの絆。例え甲世の能力で創られた玩具でも、与えられた命は本物であり、少女は本物の命を持って動いているのだ。 しかし少女は捨てられた。悲しかった。そして悔しかった。 少女は高温の火球を生み出して操る能力を宿している。直政が製造した「火を操る異能者」の試験体であり、かつて『甲世』と敵対した『炎使いの一族』を模している。 『炎使いの一族』も数十年前に黄金仮面が開発した魔法改造人間のユニットの1つである。魔法改造人間の成功例である『甲世』が、戦闘能力等を確認するための事件として彼らを殺戮した。『甲世』と『炎使いの一族』の因縁に思想の対立等は一切存在しない。上位の存在の都合でデータを取るために殺し合うだけの関係だった。 しかし、直政は炎使いの姉妹を殺さずに逃した。彼は姉妹に魅入られていた。彼の愛は彼女たちを苦しめることに特化していたが、想いは純粋だった。姉妹の代用品が、直政の気持ちをよく理解している。 一途な愛の形。人間から見れば歪んだものに映るだろう。 「親方様……永遠にお別れでございます」 本物の炎使いの姉妹が城に攻め込み、代用品の価値は無くなった。代用品は炎を操る異能こそ開花したが、本物の姉妹になることはできない。本物が現れた途端、代用品は捨てられた。 甲世の城がある山は震え、天に昇る黒い柱が立ち並んでいた。 そして、代用品を見つめる、無数の『複眼』が――。
………………… ………
「娘ども、よくぞ我が城まで辿り着いた! 俺の全家臣で歓迎してやろう!」 頬まで裂けた口から涎を垂らし、怪物化した直政は大声で叫ぶ。しかし、今の少女戦士団の意識は『甲世』をどう倒すかではなく、どのように『甲世の城』から脱出するかに絞られていた。 「撤退! 全員撤退! 逃げ伸びることに専念しなさい!」 「早く! 急いで! このままじゃ全員、呑み込まれる!」 「こんな、ウソよ! こんなのウソよ! きっと夢よ!」 蜘蛛の子を散らすように、直政を包囲した巫女と大名軍が撤退していく。甲世と討とうとした勇ましい少女たちも完全に撤退に動きを変えていた。10万近い大名軍の陣形が崩れる姿は、地上に描かれた巨大絵が風化していくようである。 直政の背後には蟲が滾々と噴き出る『城』が存在する。石垣があるとはいえ、あまり立派な造りとは言えない。しかし、『城』が地上に存在したが故に、大名軍と巫女の少女戦士団は気付けなかった。自分たちが『甲世の城』の外ではなく内部にいたことに。
「これが甲世一族の城だ! 京に代わり、この国の中枢となる場所よ!」
山は音を立てて陥没し、森林が剥がれて崩れる。土や岩が沈んだ跡から這い出るのは夥しい昆虫。山という緑色の繭を食い破り、大小無数の蟲が連なる黒い柱が天を目指して次々に立ち上がる。 地表面はヒビ割れて動き始め、山が左右に開いて川は地の底に流れ落ちた。巨大な暗黒の断裂が人工の『城』を中心に放射状に広がり、大名軍が足元をも崩し始める。 地面の中には、無数の空洞が細い通路で結ばれる世界が広がり、昆虫や異形たちが隙間無く犇いて巨大な『コロニー』を形成していた。それらが直政の能力で一斉に増殖し、暴れ狂い、巣ごと地面そのものを動かしていた。 直径数キロメートルの巨大な『蟲の巣』――『甲世の城』は大地を裂きながら姿を現した。 美しい山々と大地から洪水のように蟲が湧き出して地表面は陥没し、倒れた樹木から白い幼虫が溢れて枝葉を覆い尽くした。逃げ惑う動物たちが破裂して赤黒い寄生虫が数百匹噴き出し、死体もそのまま蟲に化ける。 緑色の風景は幼虫の白色に塗り潰され、蟲の黒色に塗り替えられた。『蟲の巣』は複雑怪奇に広がり、それぞれ地表の洞窟の入り口に繋がる。澪と麗が突入した洞窟も蟲の巣の1本であり、入り口の瀧は地割れに分断されて既に消滅していた。 「ぎゃあああああっ!」 「た、助けてくれえええ!」 轟音と共に崩れ落ちる大地に巻き込まれ、10万の大名軍が蟲の巣にぱらぱらと落下した。悲鳴や絶叫が爆発するもすぐに蟲の音に掻き消された。 落下する10万の人間を歓迎するかのように、地下世界から人間サイズの昆虫や異形の群れが殺到してくる。黒い水面の如き大群は蟲の海。 「きゃああああああああ!」 「いや、いやああああああ!」 「こんなの……夢に決まって……!」 大名軍の大半を占める足軽や武将たちは、甲世の異能に汚染されて生きながら無数の蟲に変わる。彼らは目の前の光景を受け入れる前に脳味噌まで蟲に変えられた。 しかし、クリスタルで強化された数千の巫女の少女戦士たちは蟲に変化することなく、全員が生きたまま蟲海に落下した。多くの少女は必死に岩に捕まるも、地震は次々と勇敢な戦士たちを悪夢の巣に振り落とす。 クリスタルの力で創られた紅と雪色の戦闘衣は暗黒で蛍のように淡く輝き、少女たちの目を保護する半透明のバイザーと顔を守る白いマスクが装着された。同時に肉体修復の機能が最大レベルで自動発動する。聖なる光に包まれた少女戦士たちを、蟲海が隆起して呑み込んだ。
「朝廷など最早意味を成さぬ。俺こそがこの国の天であり、俺こそがこの国の法である。この甲世天法之守直政が、ここに、『甲世幕府』の成立を宣言する。我が幕府が全ての大名を攻め滅ぼし、この国を統一するのだ――」
大量の蟲の出現に呼応して無数の植物の種子や胞子が生み出され、蟲と混ざり合い渦を成しながら天に広がり始めた。黒雲の如く地表面に影を落とす『蟲』と『花』、無数の異形たち――それらは新たな生態系を構築しながら日本の生態系を食い潰し、どこまでもどこまでも広がろうとする。 小さき無数の影により暗黒に染められた空から、白い糸のようなものが無数に地上に向かい始めた。地中に広がる植物の根を連想させる白い糸群は、死人色をした人間の『腕』だった。数兆の虫が改造されて再構成された『腕』。 蟲空から何兆本もの『腕』が地上に向けて成長し、手の平から青白い稲妻が雨の如く大地に降り注ぐ。稲妻に打たれた生物は無数の『花』や『カエル』や『蟲』に変化し、新たな生態系の一部に組み込まれた。 『腕』は甲世直政の腕そのものであり、同様の『生物を改造する』能力を持ち合わせていた。天から直政の腕が無数に蠢き、地上を異能で薙ぎ払いながら『領地』を増していく。 大地は割れて蟲の巣と化し、天は新生物に覆われて数兆本の『腕』が地上に稲妻を降らし、蟲と花粉が嵐のように天地の狭間で暴れ狂う。それは悪夢と形容しても不足する異世界だった。普通の生物は1分ともその異世界で原形を留めることはできない。 「俺の力を、国中に知らしめるのだ――」 魔法改造人間が発する『魔法』が、世界を造り変えてゆく――。
………………… ………
「甲世、直政……どこまで非道な……」 白い炎が渦を巻いて壁を作り、押し寄せてくる蟲たちを灰燼に帰していく。邪悪な魂を容赦なく炎で包み込み、永遠に甦れないように焼き尽くしていく。それが『炎使い』である澪の異能。かつて『甲世』に滅ぼされた一族が使用できる、清浄なる白き炎――。 澪を助けてくれた老人が住む村は蟲の大群で埋め尽くされ、人間の残骸に無数の蟲が群がっていた。樹木は根も残らずに消化されて住居も食い尽くされて崩壊し、大地も天空も蟲で覆われて暗黒と化した。空からは無数の『腕』が伸びて獲物を捜し求め、地面は小刻みに震えて動いている。 山は潰れて蟲に変わり、森も潰れて蟲に変わり、食われた人間も蟲に変わる。闇で蠢いていた甲世の一党はついに人間に牙を剥いた。このまま放置しておけば、怪物たちは国中の命を食い尽くすだろう。 「……おじいさん、大丈夫ですか?」 澪は炎の結界の中にいるもう1人の人間、彼女を介抱してくれた老人に声をかけた。たまたま澪の傍にいたという理由だけで命を助けられた老人の視界には、自分の村が、そして娘や妻が蟲に食い荒らされ、蟲に変わる光景が展開していた。 「わ、わしの村が……婆さんが……娘が……虫どもに……!」 「ごめんなさい。急襲されたので、おじいさんを助けるので精一杯でした」 澪の胸は無力感と悲しみで満ちていた。妹を失いながら生き延びた自分は仇を討つどころか、自分を助けてくれた恩人の家族すら守れなかったのだ。しかし、お爺さんを助けられただけでも希望は繋がる。自分は全くの無力ではないと言い聞かせることができるからだ。しかし、 「なぜ、助けたぁ……!」 老人に何を言われたのか、澪は理解することができなかった。急襲されて、それでも命の恩人だけは助けようと必死に頑張ったのだが。 「なぜ助けた……! なぜ、わしだけ、助けたぁ……! このようになって、わしだけ、このまま生きていけというのか! 誰もおらんようになって! こんな虫だらけで、わしだけ、どうやって生きていけと!」 老人の血走る目から涙が溢れ、澪を睨むように凝視していた。 狂気でも恨みでもない、純度の高い絶望がそこにあった。 「お、おじいさん……! 落ち着いて、そんなこと言わないで……!」 澪は頭を割られるような衝撃を受けながら、必死に老人を落ち着かせようとする。精一杯の力を使い助けた唯一の者に否定されては、澪の正義は本当に価値の無いものになる。周りが殺戮に満ちた状況で命を助けることが逆に残酷な仕打ちであることは理解したが、否定されることを澪は心から恐れた。 「おじいさん……駄目っ! この結界から出ては駄目!」 我に返った澪が叫んだときには老人の足は結界の境界に達していた。白い炎が足を焦がすのも関せずに歩を進める。進む先には無数の蟲が蠢く世界が広がっていた。 「……ぐうああああ、ぎゃあああああああ!」 老人は狂ったように炎の結界から飛び出し、蟲にたかられて倒れた。そして死体に変わる前に無数の蟲に変わり、そのまま暗黒の空に飛び散っていった。澪が必死に助けた老人は助からないことを選んだ。錯乱していたことは疑いようが無いが、澪は何もできないまま老人の死を呆然と眺めた。 「……おじいさん……ごめんなさい……私、こんなつもりじゃ……」 老人が死んで、地面にヒザを付き、澪は泣いた。 甲世と戦う意志も、一族を想う気持ちも、 自分の正義の何もかもが崩れていく。 甲世を倒そうとした自分の戦いは何なのか。もしかしたら、甲世ではなく自分が間違っているのかもしれない。妹の犠牲は何だったのか。一族の犠牲は何だったのか。このまま甲世の思うが侭になろうと、別に良いのではないか。 澪の戦意を現すかのように結界は弱々しく、小さくなっていく。 結界を解く決断をすれば、澪の肉体は蟲に襲われて死ぬ。 澪の辛く、苦しく、報われない、犠牲しか残らなかった戦いが終わる。 「麗、ごめん……お姉、もう戦えないよ……もう無理だ……」 「戦いから逃げたこと、怒らないで……」 澪は静かに目を閉じて、炎の結界を解除した。 洪水の如き蟲が殺到してきた。
………………… ………
「おお、何と素晴らしい光景かしら。無数の悪夢と、それに塗れる可憐な魂たち。この国には、これほどまでの悪夢を生む力と、気高い魂で溢れているのか」 黄金仮面は山を割り、地を裂いて現れた『甲世の城』を一望しながら感嘆した。夢に見た世界。夢に見た光景。夢に見た楽園。大切なものほど壊したく、美しいものほど踏み躙りたく、清浄なものほど濁したい、異世界から来た黄金の仮面の魔法少女は、仮面の奥で涙を流して歓喜する。 「私の目に狂いは無かった。この日本という国こそ私たちの安住の地」 自分の開発した怪物たちが悪夢を作り出し。自分の開発したクリスタルが正義の少女戦士を量産し、結合と調和を以て発展する。 「それにしても、この国は――容易く我が物になりそうね」 暗黒のマントを広げて怪人は勝ち誇る。
『救世主ミリルのお仕事』 第3章 −甲世の城(前) 歴史の分岐点− 3-1「蟲の穴」 3-2「甲世の城」 3-3「鈴虫」 3-4「歴史の分岐点1」 3-5「歴史の分岐点2」 3-6「歴史の分岐点3」 3-7「蟲の海、白き炎」 (現在ページ) 3-8「蟲の海、煌く炎」 3-9「蟲の海、目覚める炎」
|