7:56。東関東州_K市_私立皇線学園通学路
「あれからもう10年か。私は1日たりとも、貴女の犠牲に感謝しなかった日は無いのよ」 駅前から続く人通りの多い道を避けて、私立『皇線学園』の制服を着た少女は、電信柱に張られていた一枚のポスターに眼を奪われていた。 それは10年以上前に失踪した少女、滝浦さなえを探していた両親が貼ったものである。張られて年月が過ぎているのだろう。愛らしく微笑む写真は色褪せ、雨水が染みて紙も皺だらけだ。 さなえという少女は当時、花壇の世話をするため早朝の学校に向かい、そこで忽然と姿を消してしまった。その後、一部マスコミが神隠しや誘拐説を囃し立て、また花壇が原因不明の土壌汚染を受けて花が生えないという怪談じみた噂も流れた。 娘の行方を調べていた滝浦家は、娘の失踪してから1ヵ月後、何者かに襲われて一家全員が死亡した。同情した人々から寄付金が集まり、それを狙っての強盗の犯行だと警察は発表。マスコミは滝浦家に世間の注目を集めたことを誤魔化すように、続報の一切を流すことはなかった。 しかし、ポスターを見つめる少女は知っている。滝浦さなえは花の妖精と遭遇して魔法剣士に変身し、敵に遭遇して敗れ、その後は政府の研究機関で慰みものとして一生を終えたのだ。最後は拷問に近い暴行によるショック死と聞いている。 「ありがとう、さなえちゃん。貴女の犠牲は無駄にはしないからね――」 少女は通学カバンを足元に置くと、汚れたポスターにそっとキスをした。 まるで写真のさなえを心底愛らしく想うように、優しく、静かな口付け。 すると、紙は角から無数の花びらに変化し、風に流されて飛び始めた。瞬く間に花びらは飛び去り、少女の手元には何も残らない。 「さて、今日も一日学校でがんばろう!」 少女はカバンを持つと元気よく歩き始める。 今日のコースはいつもの通学コースから少し違う道を通っている。他の学生が誰もいない道はスリリングだと少女はわくわくする。 そのとき、近くでサッカーボールを蹴りながら走っていた小学生が、力加減を誤ってボールを少女の方に飛ばした。 「きゃううう!?」 乾いた音を立てて少女の顔にボールが炸裂し、鼻血を吹きながら少女は倒れた。 倒れた先にはドブがあり高価な革靴と白ソックスが泥につかり、身体が回転してゴミ捨て場のポリ袋に頭から突っ込んだ。 あまりに見事な配置に、この前コマーシャルで見たトラップのテレビゲームを連想する。 「ううう……何これ、ちょっとイカ臭いんだけど……」 どこかの男が自慰をした後のティッシュを頭に乗せながら、少女はよろよろと立ち上がる。ボールを蹴った小学生はどこかに逃げてしまっていない。 「くっ。負けるんですか……こんなことで……きゃううううっ!?」 大きなダンプトラックが盛大に水飛沫を上げて少女の全身を濡らし、塀を歩いていた猫が興奮して少女に飛び掛り、よろめいたところにピザ屋のバイクが通りかかる。 「あぎゃああっ!」 通学時間帯にも関わらず珍しく走っていたピザ屋のバイクに撥ねられ、少女は壁に叩きつけられて崩れ落ちる。手放してしまったカバンは道路の真ん中に落ちて、カーブを曲がってきた車両に次々と踏み潰された。 震える手で地面を転がる小石を握り締め、歯を食い縛りながら少女は立ち上がる。 満身創痍の身体を奮い立たせ、潰されたカバンを拾い上げ、よろよろと前に進み始めた。 そのとき、乾いた音を立てて野球のボールが、45度の角度で右から少女の頭にぶつかり、光の反射のように左45度の角度で飛んでいった。 「うぐっ!」 衝撃に力なく崩れ落ちてしまう。 ぐったりした少女に、通りかかった車が泥水を盛大にかけていく。 「もう、駄目なの……私は、学校に行って友達の顔を見ないまま、ここで朽ち果ててしまうの……嫌よ……そんなの嫌……」 涙を流しながら少女は呟く。 「力が欲しい……」 「姫将軍様、お遊び中に水を注すようで恐縮ですが、報告がございます」 少女がふと顔を上げると、そこには蜂蜜入りの魔法瓶を持つ女性が立っていた。 彼女はJCIAのエージェントの甘三野シズクという。深く帽子を被り、ジャージでランニング姿なので目立たないが、彼女は日本最強の特殊部隊『黒犬』の隊員。少女の本日の護衛である。 「甘三野、日常ではその呼び名で私を呼ばないでと、何回も……」 「すみません、姫将軍様。しかし、どうしても報告しなければならないことが」 甘三野の口調は真剣なものである。 どうしても報告したいことがあるというなら、ここで確認するしかない。 「発言を許す。言うてみよ」 「本日の皇線学園は創立記念日でお休みです」 その言葉を聞いた瞬間、姫将軍様と呼ばれた少女は脱力し、おでこをゴツンとアスファルトにぶつけて震え、そのまま潰れたカエルのように動かなくなった。
08:05。東関東州_新都_日本国首相官邸
通っている皇線学園が創立記念日につきお休みで、偉大な主君である姫将軍様がとぼとぼと肩を落として帰路についていた頃――。 首相官邸、数メートルの日本国旗が立てられた円形の会議場にて、老若入り混じる男女がモニターと報告書を交互に見比べていた。 与野党の古老と言われる政治家から現内閣の構成員、中央省庁の官僚まで顔ぶれは多彩である。 「またしても黄金仮面が我が日本国に現れ、多数の破壊活動を行いながら逃げ失せたと聞いた」 「それが事実ならば、JCIAはまたしても彼の怪人を取り逃がしたことになる」 「これで何度目だね、国城長官? 共産ゲリラや反政府活動家の掃討には滅法強い『姫』様も、謎の怪人相手ではお手上げというわけか」 1人の男が報告書を手に持ち立ち上がった。顔に浮かぶ不快の色を隠そうともしておらず、ある人物に険しい視線を送って声を荒げた。 「まあ、富原官房長官は相変わらず手厳しい」 くすりと嗤う気配だけで会議場の空気は圧倒されて静まり、1人の女性の存在を国旗の朱丸のように浮かび上がらせた。 それはあまりに優美すぎる。 黒い髪を優美に背に這わせ、色鮮やかな十二単衣を羽織るその姿は現実ではない。歴史の教科書に登場する平安時代の姫君のようだった。 「しかし、こちらとして、手を抜いているつもりはありませんわ」 前置きするように女性は嗤う。 「今回、私は黄金仮面を殺害する目的で、黒犬の中でも精鋭である樺島と甘三野をA市に派遣しました。彼と彼女の『魔法』の凄まじさは、ここにいる皇線学園委員会の皆様ならご存知のはずです。彼らが本気になれば妙な怪人の存在は愚か、300年余り我々が隠してきた魔法の存在さえも露見する混乱が起きましょう」 会議場は再びざわめき始めた。樺島と甘三野という名前の持つ意味と、国城と呼ばれた女性の発言について波紋が広がる。この狭い空間で、国家を揺るがすほどの波紋が。 「国城長官、いささか問題発言ですな」 「事実を言うことが問題ならば、JCIAに存在意義はありませんね、上峰」 にっこりと微笑んだ女性を見て、上峰と呼ばれた男は苦笑しながら引き下がる。最初から議論する気はないように見えた。 「しかし、樺島と甘三野を投入してさえ、黄金仮面は包囲網をすり抜けて煙のように消えてしまいました。正直なところ、あの怪人の底はまだ見えておりません。そして確かなことは、あの怪人は我々よりも遥かに魔法に精通していることです」 会議場の空気はどよめきに変化していた。 敵対存在である怪人を評価するような発言は、場合が場合ならば処刑もあり得るほどの重罪である。それを諜報機関の長が発言したのだから、驚くのも無理はない話だった。 女性を責めていた富原官房長官さえ当惑気味に押し黙っている。 「ここまでくると認めざるを得ません。そうでしょう? 私たちは何も知らないのですから。稀に出現する謎の怪人『黄金仮面』と配下の魔物。国内に無数に分布し、人間に強大な戦闘能力を与えるクリスタル。姫将軍様に逆らうような魔法改造人間や魔法使い。『ネオID計画』の開始もそう遠くないというのに、未知の因子はこれほどまでに多く、不気味な静寂を守ってるのです」 その言葉を聞いて1人老人が立ち上がった。 矍鑠とした白髪の老爺の眼光により、会議場の雰囲気が再び塗り変えられる。この老人は十二単衣の女性とほぼ同等の権力を持ち、この皇線学園委員会の長でもある。 「それを排除するんが、お前さんの役目やろぉ、国城くん。妙な輩は放置しておくとやなぁ、300年前の火ぃ使う姉妹のように人間の側に立ちよって、人間を守ろうとするアホが現れんとも限らん。邪魔は排除や、排除。いつも言うとるやろ」 「承知しておりますわ。雉島総理大臣閣下」 内閣の最高権力者たる老人の言葉に、女性は丁重に頭を下げた。皺だらけの老人は紙を丸めるような笑みを浮かべて頷く。 「我々の主君たる姫将軍様の理想に歯向かう者は、私と『黒犬』が全て始末いたします。神の設計図に描かれた理想郷を構築するため――」 女性は笑みを浮かべながら、瞳の奥に暗い光を灯した。
「300年前に阻止された夢を求めて、私たちはここまで到達したのですから」
『救世主ミリルのお仕事』 第2章 −花の騎士の誕生− 2-1「少女の願い」 2-2「花の騎士の誕生」 2-3「クラドスボリーム」 2-4「白濁の敗北」 2-5「芽吹く野望」(現在ページ) 2-6「殺戮の種」 2-7「滅びの花」
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