黄金仮面は美奈子と沙織が消えた空き地を眺めていた。駆けつけた部下の男たちは沈黙を守る。彼らの所属する機関は厳しく統制されており、必要とあらば無言の石に成らなくてはならない。 「貴女たちの持つクリスタルは夢のような力の結晶だろう。精神も肉体も強化して、衣服に応じて鎧まで製造してくれる。本当に素晴らしい。しかし、戦いに身を投じるには、それだけでは不足よ。時には臆病になることも必要なの。次の段階に進むのは、もう少し育ててからとも思ったんだけれど、残念だわ」 怪人の声には哀れみが混じる。そこには、世界中の全ての偽善と偽愛を嘲笑うかのような響きがあった。声が空気を震わすたびに、裏返せば世界の在り方さえ否定する思想が夜の闇に拡散していく。 「それにしても、最下位レベルの怪物を倒して自分を正義の味方と勘違いして、そして怪物に返り討ちされる。甲世討伐隊を思い出すわ。三百年経っても、このシステムは本当に変わらず、有効なようね」 暗黒のマントを靡かせながら、黄金仮面は次の目的地に向けて歩き始める。 「ねえ、お前たちはどう思う? 清く綺麗な魂が虐げられて踏み躙られ、不純で醜い魂が繁栄して救われていく。悪が普遍である限り、清く綺麗な世界は変わらない。否定されることも破られることも無く、在るべき姿で在れるのよ」 男たちは何も言葉を発せられない。 仮面の怪人は部下たちを一覧して、低い声で嗤った。
「私が創る世界は、もっともっと綺麗だわ」
それが、黄金仮面がこの都市で残した最後の言葉だった。 黄金仮面はこの街から消え、都市には平和が戻った。沙織と美奈子は行方不明のままである。その後、黄金仮面の噂も無くなり、彼女たちが街の平和を守るために戦っていた少女戦士ナイトガールズだと露見することもなかった。 それからしばらくして国を揺るがすような大事件が連続し、黄金仮面とその一派が暗躍することになるが、それはまた別の話である。 事件の痕跡は事件を否定するように消えていく。裏で蠢く巨大な流れを邪魔しないために、小さな石を摘み出すように。そしてここでも――。
………………… ………
「お姉ちゃまが帰ってきたんだ!」 ピンポーン、ピンポーン、と呼び鈴を鳴らす音を聞いて、三島葵子は大好きな姉である美奈子が帰ってきたと思い、玄関に向けて走り出した。 時間はもう遅い。携帯も繋がらず連絡もしてこない美奈子が、何か事件に巻き込まれたのではないかと家族は心配していた。きっと晩御飯の後はパパとママのお説教だ、と葵子は思った。 葵子と兄の幹夫は、美奈子が帰らない原因が自分たちにあるのではないか、とも考えていた。数日前、美奈子が妙に少女趣味なドレスを購入したことがあった。その姿を見て葵子は動揺のあまり逃げ出し、幹夫は大笑いしてしまった。後で冷静になって考えてみれば、これほど無礼な行為もそう無いだろう。 実際、美奈子は家で口をきかなくなった。 最初は冗談のつもりだったが、もしかしたら自分たちの言葉が美奈子を傷つけてしまったのではないか。償いとして幹夫と葵子はこっそり相談し、美奈子に何か洋服を買ってやろうと考えていた。もちろん、美奈子の好きなものを、である。 (お姉ちゃまと早く仲直りがしたい) 葵子はスリッパを脱いで玄関に降り、そしてドアの鍵を開ける。カチャリと優しい金属音を立てて、ドアは開放された。 「あれ?」 ドアを開けるが、そこには静かな夜の闇が広がっているだけだ。呼び鈴を鳴らした存在はどこにも存在していなかった。 さながら夜の闇が具現化して呼び鈴を鳴らし、また闇に戻って消えたかのように、がらんとした玄関がただ広がっている。 「何よ、何なのよこれ、気持ち悪い!」 乱暴にドアを閉めて、葵子はドアから離れる。間違えても美奈子ではない。美奈子はどれだけ拗ねていても、このような悪ふざけをすることはない。
「…………………」
そして、ようやく感じられた人の気配。 闇以外の何物かの気配。 そして、 振り返り、 ドアから入ってきた2人の姿を視界に捉えた。
「え……ど、どなた、ですか……?」 葵子は、ドアの呼び鈴を鳴らした存在が消えたのではなく、葵子の頭上を通り過ぎて家に侵入したのだと理解できた。なぜなら、その2人は天井に立って、逆さまの笑顔を彼女に向けていたのだから。 地球の重力を無視して天井に立つ2人は、葵子の反応は想定済みと言わんばかりに冷静な口調で言う。 「無礼な入り方をしたのは謝罪します。葵子さん」 「しかし、玄関前で揉め事になると、ご近所に気づかれてしまいますので」 怯えた顔の葵子を逆さまに見下ろしながら、JCIAのエージェントである甘三野と樺島は僅かに笑みを浮かべていた。これから調理する食材を眺めるシェフのような、品定めを行う笑みだった。 何ということはない。他の場所と同様に、ここでも事件の終わりが始まった。三島家への2人の来訪は、ただそれだけを意味しているに過ぎない――。 回転して音も無く床に着地した樺島と甘三野は、笑みを崩さずに切り出した。 「貴女のお姉さんには治安維持法違反、テロ情報拡散防止法違反、河川管理法違反、器物損壊、内乱罪、内乱補助罪、危険物取締法違反、市民電波法違反、その他45の疑いがかかっております」 「容疑者およびその家族の処分が決定しました。貴女に弁護士を呼ぶ権利はありません。しかし、5秒間だけ時間を与えましょう。心の整理を行ってください」 甘三野が懐からサイレンサー付の銃を取り出し、葵子の頭に標準を合わせる。動転した葵子に容赦なく浴びせられるのは、紛れもない本物の殺気だった。 学校では既に習っている。戦前から改正を17回も重ねている治安維持法を根拠に犯罪者を取り締まれる機関は、現在の日本国では日本中央情報局のみだ。そして実力行使まで行えるのは、陸軍さえ含む件の機関の実働部隊を束ねる戦闘集団、通称『黒犬』のみ。 「……え……ちょっと待ってください……」 姉が犯罪者であると言わんばかりの物言いに葵子は混乱した。姉の美奈子はバカ正直すぎる性格であり、進んで犯罪者になるタイプではない。事実だとしても理由があるはずだ、と思い直す。
「おっ、お姉ちゃまがそんなこと、何かの間違いで」
「5秒」
パシュっ、と間の抜けた音を出して銃口が火を噴き、葵子の脳天を吹き飛ばした。後ろに頭蓋の破片と脳漿を飛び散らせ、ダンスをするように一回転して身体が崩れ落ちていく。 葵子は玄関の石に顔を打ちつけて首が妙な角度に曲がり、鼻腔からも血が流れ落ちた。しかし、もう手足を動かすこともできないし痛みを感じることも無い。肉体の中枢を失い、身体中がゆっくりと機能を停止している最中なのだ。 音を立てて、葵子の家族たちが玄関に向かってくる。なかなか戻ってこない葵子を不信に思い、倒れる音で異変に気付いたのだろう。 「三島美奈子のパソコンやメモの類を全て回収する。1分後に裏口から入れ。まだ月宮沙織の家族の処理も行わなければならない。迅速に行動せよ」 中東にいる沙織の父親に対しても、現地の日本大使館の子飼いの刺客が差し向けられた。軍需産業の大物だけに、後々で騒がれると厄介だった。しかし明日には財布を奪われた死体が発見され、強盗事件として迷宮入りするだろう。 近くで控えていた陸軍兵たちに指示を出す樺島の横で、甘三野はサイレンサー付の銃を真っ直ぐに、やってきた残りの家族に向けていた。 「貴方たちに弁護士を呼ぶ権利はありません。しかし、5秒間だけ時間を与えましょう。心の整理を行ってください」 全ての役者が消えたとき、舞台は静かに幕を降ろすしかない。 登場人物が全員いなくなれば、物語は終わるしかない。 時計の針が冷静に時間を刻む。早く殺して甘いものが食べたいな、と甘三野は思った。5秒は長い時間だ。お菓子を我慢して標的に時間を与えるのは、彼女にしては大幅な譲歩だった。
「5秒」
消音処理された銃口が火を噴いた。こうして、某市で起きた事件は終わった。後には、次に続く時間がただ、流れていくのみ。
第一部 了
序章 『救世主ミリルのお仕事』 第1章 −ナイトガールズ事件− 1-1「悪の怪人は嗤う」 1-2「正義の味方が立つ」 1-3「日常、平穏、暗雲」 1-4「来訪、粛清、決戦」 1-5「刺客、泥人、乱戦」 1-6「暗黒、敗北、蹂躙」 1-7「そして事件に幕」(現在ページ) 『救世主ミリルのお仕事』 第2章 −花の騎士の誕生− 2-1「少女の願い」
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