彩華は何度も殺人事件に遭遇しており、腐敗した死体を見たこともある。我を忘れるほど錯乱したことはしばらくない。しかし、目の前の光景は、年頃の少女にはあまりにショッキングだった。 「い゙や゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」 天井から光の漏れる部屋は、ドブネズミとゴキブリの大群で埋め尽くされていた。20センチはある肥えたドブネズミがお互いの身体を登り合い、ネズミのピラミッドが周りに10個以上蠢いている。壁や床には黒い水面が波打つように巨大なゴキブリが何千匹も走り回り、黒い砂嵐のように部屋中を飽和する。鳴き声と羽音のオーケストラが部屋に満ちていた。 (何これ!? どうしてこんなことになってるの!?) 狭い部屋に大量に押し込まれたようなネズミとゴキブリは、お互いを押し潰して血や内臓を撒き散らしながら暴れる。貪り食いながら糞を垂れ流し、そして別の仲間に食い殺される。血液や臓物や糞便に塗れて粘り合い群れる。ネズミと虫の醜悪な汚濁のオブジェだった。 (こんな大量のネズミやゴキブリがいるなんて、どうして?) 足下では、糞尿や血液や臓物が踏み潰されてペースト状になり、激しい臭気を放ちながら凝集して床に数センチの層を成している。空気を吸い込むだけで肺腑が腐り落ちそうな汚濁の坩堝だ。 (き、汚いっ! こんなところにいたら、すぐに病気になっちゃう! 考えるのは後だわ! ここから脱出しないと! 警察と保健所に連絡して、それで、とにかく誰かに来てもらわないと!) 不潔な動物たちの糞尿や体液が粒子状になり、細菌と共に部屋中に満ちているに違いない。呼吸するだけで身体の内側を蝕まれるだろう。そもそも人間が生きられる環境ではない。多少のことは覚悟していた彩華と言えども、年頃の少女である彼女の精神は限界値を振り切れた。 「誰か! 誰かぁ! 助けてぇ! おばけ洋館の中にいるの!」 洋館の外に声が届いていることを祈りつつ、ネズミの海山とゴキブリの黒い嵐の中、両手をばたつかせて動物たちを振り払う。しかしネズミは肥えて重く、何百匹というネズミの群れに呑まれた彩華は立つこともできない。 「動゙げな゙い゙っ! 動゙げな゙い゙の゙っ! 誰かぁ!」 ネズミの山に埋もれながら、悲鳴に近い声を張り上げる。犯罪者と渡り合うために身体も鍛えているし格闘術の心得もある。探偵道具を用いた戦闘の勝率も高い。しかし、自分の上にいるネズミたちを押し退けることができない。鍛えていても、上品な細い腕はネズミの重さに対して非力だった。大量のゴキブリたちがネズミの隙間を縫うように、ガサガサと服に侵入し、胸や腹や首筋、下着の中まで這い回る。あまりの汚辱感と嫌悪、そして恐怖に彩華は心底震え上がった。 「きゃあ゙あ゙あ゙あ゙!」 (装備をちゃんとしていれば、こんな!) 防刃加工を施した機密性の高い衣服も持っていたが、かなりの重装備になるので最近では装着しなくなった。7つ道具の他に、電撃を放つ強力なロッドや催涙弾などの武骨な武器も持っていたが、最近は装備も簡素化しているので持ち歩いていない。 最初は銃撃されても平気なフル装備で活動していたのだが、探偵業が評価され始めると、「顔が可愛いけれど服がダサすぎ」「武器を持ちすぎで怖い」という声が多くなってきた。父親に及ばない分を装備で補おうとしていたのだが、フル装備が苦痛になっていたのは事実だ。 そこで女の子っぽい服を着てみると、一気に美少女探偵としての評価を得ることができた。雑誌の取材まで来て知名度は一気に上がり、応援する声も倍増した。彩華も少女である以上、その評価はとても嬉しいものであったし、仕事にも慣れてきたこともあり、武骨な装備は姿を消していった。 そうして、今着ているのは戦闘服でも何でもない、昨日奮発して購入したお気に入りのブランドの洋服である。装備に頼らなくても仕事を続けられることは、自分のレベルが上がったのだと解釈した。 それが慢心でしかなかったことを、彩華は今思い知らされる。 (こんな服で戦うなんて、無理だわ!) ブラウスやスカートは、押し潰したネズミやゴキブリの内臓や肉片に塗れた。体液や汚物が染みてどす黒く変色し、気品も甘い体臭も全て塗り潰される。ベレー帽はどこかに消え去り、髪や綺麗な顔もべっとりと黒い汚物に塗れていた。ネズミやゴキブリが動くたびに、伝わる汚辱感が心を締め上げていく。 「や゙め゙でっ! や゙め゙でえ゙え゙え゙っ!」 全身にネズミの大群が貪りついてくる。そして防御力のない薄い服を貫き、柔らかい肌に雑菌だらけの牙を突き立てられる。焼けるような痛みが次々と彩華を襲った。ブラウスの上から皮膚を抉られ、スカートを引き裂かれ、剥き出しの足が齧られていく。 「うっぷ、うぐ、痛っ! ゔゔっ! や゙あ゙っ! きゃあ゙あ゙! うぶっ! ゔゔ! ぐゔっ!」 瞬く間に彩華の全身は赤く染まり、部屋はネズミたちの食事会の場と化した。ネズミたちの牙によって、全身の皮膚が一斉に剥かれて奪われていく激痛が、幼い身体に襲い掛かる。顔、特に目を必死に手で守りながら、ネズミたちの大群の中で泣き叫んだ。頬や顔には無数の牙の跡があり、汚物が傷口に沁みて熱い。ブラウスの胸元では、無数のネズミが乳首を牙で抉り咀嚼している。肉を剥かれて血の海と化した胸では、無数の子供のゴキブリが泳ぎ回る。 「ぐゔゔゔゔゔゔゔ! ゔゔゔ!」 口の中に肥えたネズミが潜り込み、喉の奥に侵入しようとしてきた。絶望の悲鳴を唇の隙間から漏らしながら、形振り構わずネズミをバリバリ噛み殺し、口内に広がる血と生臭い死骸を吐き出した。しかし口を開けるたびに、新しいゴキブリやネズミが次々と飛び込んでくる。しかし口を開けなければ呼吸ができない。 (誰か助けて! 助けて! 助けて! 助けて!) ネズミやゴキブリを噛み殺し、噛み砕く度に、意識が遠くなるのを彩華は感じていた。自分が自分でなくなるような感覚、現実が遠い世界の物語のように感じる不思議な気分だ。萎んでいく抗う心を、必死になって奮い立たせる。戦わなければ、本当に食い殺されてしまう。自分はこんなところで死ぬわけにはいかない、名探偵として人々を助ける夢があるのだから――そう自分に言い聞かせながら。
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結果として、彩華の行動により再捜査が行われ、洋館の主失踪および男児失踪事件は解決した。明らかになった事件の概要は以下の通りである。
まず、洋館の主は脱税目的で、屋敷地下に誰も知らない秘密の部屋を造った。その部屋に入るには隠し扉を開いたまま、ハシゴをかけて降りるしか方法がなかった。主は地下に降りようとしたが事故が起こり、ハシゴが倒れて地下に転落、頭蓋骨を骨折して死亡した。そして死亡した主と倒れたハシゴを地下に残したまま、隠し扉は閉じてしまった。これが洋館の主が失踪した概要である。 数年後、地震が起きて突貫工事を行った地下の壁が崩れた。そのときに生じた小さな穴は、近くの下水道と繋がってしまった。加えて下水道の工事図面に記載ミスがあり、定期的に点検が行われていたにも関わらず、洋館の地下と繋がった穴が発見されることはなかった。 それから、大雨により下水道の水位が上昇すると、そこで暮らすドブネズミやゴキブリたちが溺死を免れるため、穴を通じて洋館の地下に移動し始めた。安全地帯に集まった彼らはお互いを食い合い、洋館の主の遺体も食料にした。大雨の度に洋館地下には血や糞尿や死骸が蓄積され、汚物塗れの部屋ができあがっていく。 台風がきて屋根が破れ、洋館内の風の流れが変化した。隠し扉は機密性が高く、わずかな隙間が存在したものの、汚物部屋の臭気は全て下水道の方に流れた。 そして数年後、大雨の雨宿りをしていた少年が偶然にも隠し扉を発見し、地下に転落した。ちょうど異常気象で増殖していたゴキブリやネズミが地下に殺到していた時期と重なり、彼は食い殺されてしまった。警察や彩華が捜査に訪れたときは天気は回復していて、地下にネズミたちはもういなかった。 最後に、彩華が地下に落ちた。地下からは洋館の主と少年の白骨死体、そして彩華の遺体が発見された。彩華の遺体は損傷が激しく、原型を留めていなかった。服は血や糞で汚れて色も分からない。後の調査で目、性器、口内まで生きたままネズミたちに食い荒らされていたことが判明した。彼女はネズミやゴキブリの大群相手に激しく抵抗したが、終には力尽き、汚れた動物たちに全身を貪られたのである。人々を助けることを夢見た美少女探偵は、あまりに無残な最期を遂げた。 ちなみに、彼女がネズミたちに貪られているすぐ横には、洋館の主が使用したハシゴが転がっていた。
BAD END
『お化け洋館事件』 前編 中編 後編
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