公園の異様な光景を、少し離れた場所から冷めた目で眺めている女性がいた。 「……もっともっとや、思いっきり暴れなさいや」 三角のメガネをかけ、紺のスーツを着ている。顔は目玉が大きくて頬に肉がつき、まるで頬を膨らませたガマガエルのよう。総合的な印象は人間というよりカボチャに近かった。 彼女は片桐という。 過激な活動で知られる市民団体に対し、小国の国家予算に匹敵する資金援助を行い、全国の革新系勢力を結集して毎日連続で集会やデモを行う「祖国救国平和維持関東大闘争」を持ちかけた人物。つまるところ、公園で暴れている市民団体は、その資金で集められたものだった。 もっとも、スポンサーである彼女は集会に参加しない。ゆったりとしたリムジンの中から、遠目に騒ぎを観察するだけである。片桐自身はその活動に参加するつもりはないし、特別に興味もない。 「もっとドンチャンしなさいや。そうしてくれれば、JCIAの連中が混乱するんや」 頬をさらにカエルのように膨らませ、片桐は肩を揺らしてガタガタと笑った。 過激な団体には、できるだけ派手に動いて欲しい。 彼らの動きが活発になればなるほど、片桐が属する団体へのマークは緩くなる。 つまるところ、あの団体は囮。当人たちがどういう思想であろうと、彼らはスポンサーの彼女の思惑通りに動くピエロでしかないのだった。 「全ては浄江見星光霊母さまのためや。くだらん思想カルトも有効利用や」 宗教団体『天球星霊教会』の幹部である彼女は、にやりと顔を歪めた。 集会中の市民団体の中には、銃器で武装した教団信者たちも多数紛れている。彼らをどう動かすか、いくつかのプランが片桐の脳内に再生された。 道具は、十万単位に膨れ上がった反政府系団体。 中に紛れている武装信者たちを上手く動かせば大規模な暴動を起こし、JCIAと衝突させるのも不可能ではない。市ヶ谷のJCIAビルを暴徒に襲わせるのも一案である。 「ごちゃごちゃと五月蝿かった放送局、新聞社も、ようやく教会が掌握した。しかし、最後の外堀であるJCIAを潰さなければ駄目や。あの、忌まわしいJCIAの姫と狂犬を潰さずして、最後の審判の完遂は無い……」
教会に批判的だった新聞社や放送局の対策を、かつて片桐は指揮していた。 相手の組織内で信者を増やし、幹部を籠絡し、スポンサーとなって莫大な額を投資する攻勢。結果として教会をカルトと批判していた新聞社や放送局のうち、ほぼ九割を沈黙させることに成功した。 残りの一割も工作は成功しているが、意図的に教会を批判する記事や番組を流させている。 国内には教会に対して批判的な意見を持つ者も多数存在するので、そのガス抜きで批判も必要、と彼女が判断したのである。もちろん、流される映像や記事については、教会が厳しくチェックしていた。 結果、毒の抜かれた情報を元に活動している教会批判派の牙も、ゆっくりと衰退してきている。 彼らに対しては、片桐は特に工作を行っていない。 天球星霊教会の『最後の審判』が実行されれば日本の人口は一日で半分まで減少し、教会批判派は根こそぎ殲滅される。そして最後には、日本に住む人間は全滅する。 教会内ではそう認識されているので、特に相手にする必要はない。片桐は一応、直属の部下である聖戦士キロリンを投入して彼らを皆殺しにするプランを立てたが、実行されることはなかった。
そして、教会の「最後の審判」の実行は明日。 最初は、聖戦士ミリルが東関東州および西関東州を攻撃する計画である。それをフォローし、現地を指揮する教会幹部として片桐が派遣されたのだ。 「暴徒がミリルの攻撃に巻き込まれたらアカン。さて、あの思想カルトの大群をどう動かすべきや?」 ぷっくり顔を膨らませた片桐。 それを見て、彼女とリムジンに同席する三名の男女が口を開いた。 「いよいよ明日で、で、ございますね! 片桐様! わ、私ってばもう興奮して、夜もあまり寝られなくて、きゃー、もう、めちゃくちゃ、悶々としております! 批判派を、ぶっ殺す! ぶっ殺し、まくりです!」 リムジンに同席していた、眼鏡の少女が声を弾ませる。 度の強い眼鏡に隠された瞳は、これから訪れる未来への希望でキラキラと輝いていた。希望に裏打ちされるのは、狂気に近い教会への妄信。危険な空気が視線からも感じられる。 「市民団体なんて使わなくても、私たちが批判派もJCIAもぶっ殺しますよ! 私に、役目を!」 「香木は静かにしなさい。片桐様の思考の邪魔です」 顔をフードで隠した人物が、中性的な声で静々とそれだけ言う。 「佐々野ちゃんってば酷いよ! ものすごく富士山みたいに酷い。ねえ、梶間くんもそう思うでしょう?」 「香木はうざいが、言ってることは賛成。もう今からJCIAに乗り込んで、お姫様の首を取っちまいましょうや! それが一番早いっすよ。俺があいつの首を跳ね飛ばしてやりますよ!」 赤い髪をした若い男が、ゲラゲラと笑いながら腕を撫ぜや。 ラフな服装に隠されている肉体には、性器を含む全てに教会の紋章の刺青が刻まれていた。裸体の異様さは最早狂気でしかなかった。 「裏切り者の「元」ミリルやJCIAに直接対処するのは、新しいミリルとラジアベルや」 ラジアベルの名前を聞いて三人は沈黙する。 教会でも最強の武闘派である彼女の正体を知る者は、教会のトップクラスの人間だけなのだ。この車内の中でそれを知るのは片桐のみ、最初の攻撃者のミリルでさえ、その正体は知らない。 「私らはあくまで、彼女たちが討ち漏らした連中や、逃走する連中を抹殺することや。ミリルが本気で攻撃を開始すれば、数十万人規模の避難者で交通機関が麻痺する。そこを攻撃し皆殺しにする、大切な役割を君らには期待してるんや。優れた働きをした者は、聖戦士への昇格もあるんや」 片桐の言葉に、三人の狂信者たちは深く頷いた。 「さて、ラジアベルが総本山から連れてきた兵隊と、あの集会に紛れた兵隊で400ほどや。数はええとして、なあ佐々野や、聖戦士キロリンとティオファントスはいつ到着するんや?」 「明日の午後には合流するそうです」 片桐の直属の武闘派の二人の名前に、車内に妙な緊張が走る。 「そうかそうか、ミリルにラジアベル、キロリンにティオファントスか、東西関東州は壊滅は確実や」 片桐はぷっくりと顔を膨らませて、明日の大殺戮を夢見ながら満面の笑みで応えた。 梶間はふと考え込むような表情をしていたが、率直に尋ねる。 「なあ、400人分の信者の銃器は、どこから調達したんだ?」 梶間の問いかけに、佐々野はそんなことも知らないのかと言わんばかりに、簡潔に応える。 「教会の隠れ信者には、警察や国軍の関係者もいるのですの。例えば、現職の花谷国防大臣。今回の作戦は政財界の同志も総力戦。『最後の審判』という歴史上最大の革命を成功させるための――」 そう言って佐々野は、フードの奥の紅い唇を、きゅう、と吊り上げた。
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セーラー服を着ている少女が、交差点で信号が青になるのを待っていた。つい数十分前は小中学生がデモ行進をして騒がしかったが、今は普通の通勤者が屯するだけで静かなものである。 「ミリル」 その名前で呼ばれた少女は、驚いたように後ろを振り返った。 無垢な顔にある種の怯えと警戒が混じる。名前に反応したことを後悔しているように見えた。 彼女のもう一つの名前である『ミリル』は、かつて所属し、今は脱会した宗教団体の関係者しか知らないこと。逆に言えば、名前を知っているものは彼女にとって、命を狙ってくる敵がある可能性が高い。 「順子……久しぶり。メール返せなくてごめんね」 後ろに立っていたのは、宗教団体で知り合った西村順子。 おさげがよく似合う地味めの少女である。教会にいた頃のミリルの親友の一人であり、よくいっしょに教義を勉強したり遊んだりした仲だった。 「久しぶりね、裏切り者の病原菌。どんな顔をしているかと思ったけど、あんたは変わらないね」 悪意に歪んだ言葉に、もうかつての友情は感じられない。 ミリルは理解していた。教団に叛旗を翻すと同時に、順子との友情も終わりを迎えたのだと。今や、親にも、姉にも、親友にも、自分は汚物としか映らない。教会の『神』に叛逆したものは魂まで穢れており、それと接すれば自分もまた穢れてしまうのだと、教会は信者に信じさせている。 「あんた、家にも帰っていないそうだけど、今はどうやって暮らしてるのよ?」 「カプセルホテルとか、ネットカフェとか、色々、学校の友達の家も、たまに」 「年齢は? お金は?」 「年齢は嘘言って、お金は逃げるときに自分の貯金を引き出して、って言っても、もうほとんど残ってないけどね。今もちょっとお腹空いてるかも」 少し疲れている色を見せながら、ミリルはかつての親友に弱々しく微笑んだ。もしかしたら、また微笑み返してくれるかもしれない、という淡い希望を胸に。裏切られると分かってはいても。 「お姉さんがあんたのこと、探してたわよ」 無表情、無反応な順子に内心抉られながら、ミリルは気丈に振る舞う。これぐらいで挫けては、『神』に叛逆してまで教団を離反した意味が無いのだ。 「うん、学校にも何度か来た。でも逃げた。美希お姉ちゃんに捕まったら、私、きっと殺される」 「ご両親も心配していたわよ」 「それは嘘、私のこと、汚物とか言ってたし」 「あんたが使ってる口座に、ちょっとだけど、お金を入れたって、伝言。好きに使っていいってさ」 「え?」 信じられないという顔のミリルに、順子は呆れたように言う。 「何だかんだ言っても、子供の心配をしない親なんていないのよ。もし考え直すのなら、いつでも戻って良いってさ、これも伝言。食事だけはきっちりとりなさい、これも伝言。もう嫌になるわ。病原菌相手に、見かけたら伝えて欲しいなんてさ。まあ、お金のことは、流石にお姉さんには内緒らしいけど」 「……お父さん、お母さん」 泣きそうな顔をしているミリルに、順子は小さなナイフを取り出して、渡した。 「これは?」 「私からの餞別、教会にはあんたを殺したいって思ってるのも沢山いるし、役に立たないだろうけど、護身用に持っときなさいよ。どうせゴミのナイフだし、病原菌にゴミを押し付けるなら、別に問題もないでしょ?」
順子はミリルの進む道と、別の方向に歩いていく。 同じ道を進むのを、ミリルは拒否した。 順子にとって、自分と別の道を進む少女との会話は、これで終わりということらしい。
「あー、ゴミが無くなって清々した! 良かった良かった。晴れ晴れしたわ、本当」 「ま、待って順子! お願い、もう少し、もう少しだけ……」 ミリルが慌てて順子の背中を追うが、彼女の足は止まらない。 久しぶりに会った親友を、必死に、止めようとする。 その意味を理解し、何とか、その先に進ませないようにと、前に立ち塞がる。 「お願い、話を聞いてくれるだけでいいの! ちょっとだけだから。お別れは、それからでも遅くないでしょ。私ね、教会から離れてから、色々と考えたの。これからどうするか」 「私まで悪魔の道に誘惑する気?」 「違うよ! そうじゃない! ただ、私は!」 「『最後の審判』はもうすぐ始まるらしいわ。それで、みんな『第二のふるさと』に旅立つの。それで私は、ふるさとに選ばれなかった。だから死んで、消えてなくなるの。ねえ、ミリル。あんたが正気で『最後の審判』を止めるつもりなら、そろそろ覚悟しておいた方がいいわよ。噂では片桐さんが活発に動いてるって」 「片桐……」 教会幹部の片桐は組織No.4の地位にいる大物である。それが動いているとなれば、確かに只事ではない。その人物が動くとき、大きな変化が起こる。それが露見するか否かは別だが。 「順子、私と一緒にいて! そうすれば、『審判』から助けられるかも!」 周囲の通行人が妙な視線を送る中、ミリルは必死に、歩いていく順子を止めようとする。 「正直、死にたくないよ」 歩くのを止めた順子が、ぽつりと言った。 「順子! 良かった! じゃあ私と一緒に……」 「でもね、私にはさ、あんたと違って、神様に逆らったり、教会を裏切ったりなんか、できないの。そんなの、いけないこと。やっちゃダメなの。それはもう私の中で変わらない。運命に逆らうなんて、できない」 「あんな『神様』の言う運命なんて、受け入れる必要ないよ!」 ぽろぽろと涙を流しながら、順子はミリルを見る。 悪意も何もない、かつて仲良く遊んだ友人の顔。 別れることになる親友への感情が溢れ出た、悲しい顔だった。 「次がもしあるなら、私たち、また友達だから」 順子はミリルの制止を振り切り、真っ直ぐに駆け出した。
そして、赤信号の横断歩道に飛び込んだ。 次の瞬間、ドン、という衝撃音を残して、順子の身体はトラックに撥ね飛ばされ、赤い液体を零しながらごろごろ転がり、腕と腰をあり得ない向きに曲げて倒れる。
動かなくなった順子を、後続の車が次々と轢いていった。 「いや……いやあ! いああ! あああ! 順子! 順子ぉ!」 ミリルは泣きながら、目の前でひしゃげた友人の姿を見る。 頭は潰れて、身体は千切れていた。ぐちゃぐちゃとしか形容できない、肉の塊。 親友が死んだという事実。 自分が目の前にいながら、阻止できなかった後悔。 様々なものが、胸の辺りに渦巻いていた。 「私、何やってるの! 順子が、順子、せっかく来てくれたのに、どうして、どうして何もできないのよ! 殴ってでも止めれば良かったのに、私のバカ、私のバカ! 本当に、バカ……」 後悔と同時にミリルは痛感した。 教会に叛旗を翻したとはいえ、自分はまだ教会の教えに縛られ続けている。 どんなことをしても審判を阻止するという覚悟もできていない。 残されたのは、小さなナイフが一本だけだ。 ちっぽけな存在の自分にはお似合いの武器だと思った。 教会に狙われる不安もあるので、持っておいたほうがいいだろう。 「順子、でも、私は諦めないよ。ううん、もう逃げない」 教会や学校にはまだ多くの友人がいる。 家族もいる。 絶望にはまだ早い。 不安なのは片桐の存在である。教会幹部の片桐が動くなら、護衛には複数の異能者が付くはずだ。キロリンやティオファントスといった武闘派も出てくるかもしれない。実際、二人は片桐の部下である。 「あの人たちが出てきたら、私、間違いなく殺されちゃうな。でも、これが私の選んだ道」 真っ赤に目を泣き腫らしながら、ミリルはナイフを胸元にいれ、そして街の中に消えていった。 自分の運命と手を繋ぎながら。
「どんなことをしてでも、私は『最後の審判』を阻止してみせる」
『最後の審判』の勃発まで、残り約30時間。
『救世主ミリルのお仕事』 第5章 -5月14日 戦争前日- 5-1「左右の鏡」 5-2「心の麻薬」(現在ページ) 5-3「ウソとホント」 5-4「言葉の意味」
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