音を立ててドアが開き、国城三輪との極秘会議を終えた上峰が部屋に戻ってきた。 時間はまだ早朝に含まる。国防省ビルも、仕事開始の時間ではない。国防省を含む各省は、始業時間が民間企業より遅いのである。 窓の外を見てみれば、官僚たちの何人かが、マシンガンを手に正面玄関を警護する陸軍兵士に挨拶しながら、ビルに入ってくるのが見えた。彼らが最も早い時間に来る部類だろう。 「上峰さん、会議お疲れ様です」 資料が整理された本棚に囲まれ、デスクに置かれた薄型モニタを見ながら、一人の少女が笑った。 マウスを動かしながら、ケーキで優雅に朝食をとっている。 セミロングの黒い髪に、端正だが垢抜けない顔。平均以上の容姿であるが、突き抜けているわけでもない、特徴がないのが特徴と言える。外見ではなく性格でユニークさが決まるタイプだろう。 「国防省の諜報システムで遊ぶのは、関心できないね。永山洋子くん」 上峰は顔色一つ変えずに、コーヒーメーカのスイッチを入れる。 「そのシステムには機密が存在している。そして、ケーキのクリームがマウスに付着している」 「あっ、ごめんなさい」 「マウスがべト付くから、拭いておいてくれ」 上峰の言い分はもっともである。洋子は素直に反省して、ティッシュを探した。 「えーと、ティッシュどこですか?」 「二番目の引き出しの中にある」 クリームを拭き取る洋子を見ながら、上峰は来客用のソファに腰を下ろした。 「会議は大きな問題もなく終了した。雉島総理は例の市民団体に酷くご立腹だ」 上峰の顔は口以外はほとんど動いていない。 あまりに口以外は動かないので、まるで人形のようでさえある。 「国城長官は、市民団体の背後が『天球星霊教会』であることは、まだ知らないようだった」 「それ、信用できるんですか?」 「いや、できない。彼女の言うことを信用してはいけない」 「嘘つきなんだ」 「いや、そういうわけではない」 「じゃあ、どういうわけですか?」 「国民全てがウソ星人とホント星人だったら、どれだけ楽なことだろう」 「謎謎でありましたね。ホント星人とウソ星人。ホント星人はいつも本当のことを言って、ウソ星人はいつもウソを言う。だけど外見は同じ。さて、どうやって見分ければいいでしょうか」 「そう、それ」 「で、それが、さっきの話とどう繋がるんです?」 「別に深い意味はない。愚痴だよ」 「上峰さんなら、ホント星人とウソ星人をどう見分けます?」 「拷問して吐かせる」 「素晴らしい模範解答ですね」 「もしも、どちらかを標的に選べるならば、どちらを拷問するかね?」 「ホント星人に決まってます。ホントのことを言っても許されない絶望感、ああ、濡れちゃいます」 「素晴らしい模範解答だね」 「でも、上峰さんがホント星人とか言うなんて、びっくり」 「君に合わせようと努力しているのだよ」 「むー、上峰さんの意地悪」 上峰はコーヒーを二つカップに注いだ。 そして、洋子のいるデスクに向けて歩き出した。 「話を戻そうか。彼女、国城三輪が言うことには全て裏がある。こちらの戦力が勝っていても、彼女の頭脳はそれを凌駕する。発言の一つのワード単位、いや、一文字単位で警戒しなければならない相手なのだ」 「しりとりで言う、「ん」みたいな人ですね」 「まあ、捉え方としては、間違ってはいない。気付かなければゲームオーバだ」 「でも、彼女のことなら、心配ないですよ」 洋子はうっとりと陶酔した表情で笑いながら、コーヒーを受け取る。 まるで自分が神の使いにでもなったかのように。 「黄金仮面様が、国城三輪を殺害しますから」 「あの御方には『黒の導』という名が存在するのだろう」 「いいの、私にとっては黄金仮面様なんです」 洋子は優雅にコーヒーを啜る。 そしてすぐに顔を顰めて、「苦い」と呟いた。 「ん、もう時間だな。この部屋から出てくれるかね。もうすぐ花谷大臣がここに来る」 「上峰さん、そのことですけど」 「分かっている。花谷大臣の耳にさりげなく入れておく。国城三輪の娘が皇線学園に通っている、と。花谷大臣は教会の隠れ信者だ。市民団体を動かしている片桐という人物にも情報がいくだろう」 「パーペキです」 「聞いたことのない単語だ」 「パーフェクトさんと完璧さんが、合体変形で勇者ロボ」 洋子はケーキをパクパクと平らげ、コーヒーに砂糖を入れて一気に飲み干した。 「明日、ミリルとかいう奴がテロ攻撃を始めたら、きっと皇線学園は教会に襲われるでしょうねー。下手すれば学校そのものが無くなっちゃうかも知れませんねー。うふふのふー」 「それぐらいでなくては、観察のしがいがない。そうだろう?」 「ここは大丈夫なんですか? 上峰さんは?」 「ここはミリルとやらの能力の範囲外だ。そして私が避難する準備も万全だよ」 「流石は上峰さん。明日はのんびり皇線学園をカメラで見物ですか?」 「ああ、良いね。最高のショーだろう」 上峰はここで初めて自分の感情を表に出す。 それは酷く愉悦に満ちた笑み。 「皇線学園は数年前から日本国の中枢だ。価値では省庁や皇居にさえ勝る。あそこで起きることは国体の在り方は勿論、世界の在り方すら左右する――」
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私立『皇線学園』。 有名大学に合格者を多数出している。外見は白い壁をした三階建ての構造物。当初は女子高だが数年前に共学に変わり、生徒は女子が377人、男子が125人。女子が多いのは、昔の名残だ。
清楚な緑のブレザーを着た少女が独り、花壇に静々と水を与えていた。 「今日もお花に水をやっているのね」 背後から声をかけられて、天法由香里は爽やかな笑顔で振り返った。花壇に傾けていたジョウロを水平にすると、零れそびれた水がゆっくりと伝い流れていく。 「おはようございます。勅使河原センパイ」 照れくさそうに軽くカールした髪を掻きながら、勅使河原摩子に頭を下げた。 由香里は普通より美人の部類に入るが、雰囲気が地味なためにいまいち目立たない。名字が珍しいので学園内ではそれなりに有名人だが、顔までは覚えられていないことが多かった。 「最近は雨も少ないし、お花さんも喉が渇いたと思います」 学園のアイドル的存在の摩子は、由香里に比べて明らかに洗練されていた。白磁の肌と真黒の髪から成る絵画のような姿。しかし、一部からは魔女や蛇に例えられていた。 「ねえ、由香里さん」 「何ですか、勅使河原センパイ?」 「ちょっと、尋ねたいことがあるんだけど。変な意味じゃないのよ」 摩子の言葉を聞いて、太陽のような由香里の笑顔が僅かに曇った。 何のことを尋ねられるのか、察しがついたのだ。
「お花の声が聞こえるというのは、本当なの?」
「本当ですよ」
摩子の声は真剣なものであり、それを由香里も察した。 しかし、だからこそ、妙な沈黙が、二人の間に流れた。 どうして摩子がそのようなことを尋ねてくるのか、どうして由香里はそのようなことを言うのか。 「…………」 「変なことを聞いてしまったわね。ごめんなさい。忘れてちょうだい」 それだけ言って、摩子は行ってしまった。 これで会話は終わりだということらしい。 摩子も由香里も知る人は知る奇人であるが、その会話はあまりにも普通の人間には理解されない。 残された由香里はジョウロを手にして、花に水をやるのを開始する。たった今交わされた奇妙な会話など、何の興味も無いといわんばかりに。 「ねえ」 何も存在していないはずの空間を見て、由香里はふと声を漏らした。 「『花の騎士エルドル』のことや、『花の妖精』や、『クラドスボリーム』のことを話したら、センパイは信じてくれたかな? どうだろうね。お花を守るために怪物と戦う騎士のことを……」 当然ながら普通の人間に聞こえるような答えは返ってこない。 そこには人間が聞き取れる声を発する存在は皆無のはずなのだから。 ただ、水を与えられた花たちがざわざわと風も無いのに揺れた。 「ふふふっ。分かってるよ。私の言うことはきっと理解されないよね。やっぱり、実際に見てみないと」 由香里は微笑んで、花たちに向けてジョウロを傾ける。 それだけ見れば、何気ない平和な光景だった。 「いつまでも、平和が続くといいのにね」 太陽は眩く、いつもと変わらない日々。 しかし、彼女は知らない。 まだ見ず知らずの多くの者を巻き込んで、この学園が戦場と化すことを。 明日の午後には大量虐殺が一帯で発生し、連鎖的にこの学園が混乱に巻き込まれ、さまざまな力がぶつかり合い、多くの者が死ぬことになることを。 由香里はまだ、この平和が続くと信じている。
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天気は快晴、絶好の運動日和と言える。 私立皇線学園の第二グラウンドでは三クラス合同の体育で、サッカーが行われていた。もちろん、男女混成チームではなく、女子のみの授業である。男子は現在、保健の授業を教室で受けていた。
2つの試合が行われていた。 人数はお互いに9人しかおらず、エリアも実際の高校サッカーの四分の一しかない。 ボールの動きもころころと転がる程度の緩やかなもので、激突もなければラフプレイもない。いわばお遊びに近いものだった。 「由香里っ、そっちに行ったよぉ!」 ボールの転がる方向が変わり、ライン際でじっとしていた一人の少女に声がかかる。 「ええっ! きゃあ! え!? う、うそっ! だ、ダメぇぇ! 来ないでぇ!」 転がるサッカーボールを見た由香里は、数メートルの岩を見たように狼狽した。 赤いラインが入った白い体操服は土で汚れ、同色の短パンからも土が落ちている。他の生徒たちの服が綺麗なのに対して、まるで爆撃を受けた市街地を潜り抜けたような有様だった。 「由香里っ! こっちに蹴ればいいからっ!」 ポニーテールの少女が手を振って由香里に叫ぶ。 背も高く、声もよく通る。 彼女は立花あざみ、由香里の親友としてクラス内では認知されていた。 「あ、あざみちゃん……よ、よーし、この、この、えと、えーと、ぼ、ボボボ、ボールめ!」 適当な特殊形容が思いつかないほど普通のボール。 それを見ながら、というか凝視しながら、由香里はサッカーボールに立ち向かう。 「きゃあああ!」 ボールに焦点を合わせすぎて肉体のバランスが崩れた。 由香里はそのまま足をもつれさせて、いきなりこけた。まるで開脚後転のように足を開いた状態で、背中から地面に倒れてしまう。 「ゆ、由香里ーっ!」 「由香里がまた、何もないところでこけたわ!」 驚愕の声が敵味方問わずに上がる。 由香里は何も障害物が無い場所でこけるという、多数いそうで滅多にいない希少なキャラとして認知されていた。 サッカーをすればランニングでこけ、体操でこけ、ドリブル練習でこけ、試合で動くたびにこける。七転び八起きとは天法由香里のためにある言葉だと、国語教師が皮肉ったぐらいである。 「うぐううう……やっぱりこけちゃった……」 足がぱたりと地面に付いた。別に怪我をしているわけではないが、服と雰囲気は満身創痍である。頬に付いた砂がぱらぱらと落ちていく。 そんな由香里を癒すかのように陽光が眩く照りつけ、関係なくサッカーボールも動いている。ハの字のように開いた股間に、ボールはある程度のスピードを有したまま吸い込まれた。 「きゃあん……っ!」 汗で熱気を放つ太ももに挟まれるボール。短パンの生地の縫い目、ちょうどデリケートな部分に、まるでキスをするかのように回転を擦り付けて、サッカーボールは止まった。 「ちょ、ちょっと由香里!?」 「何、今の声!」 妙な悲鳴を上げた由香里に、もはやクラスメイトは笑うしかない。親友とされるあざみでさえ、腹に手を当てて大笑いしている。伝説に新たな一ページが刻まれたのは間違いなかった。 しかし、当の由香里本人はそれほど気にしていない。 「今日は。アリさん。今日もお仕事がんばるね」 少し頬を赤らめて地面に横たわりながら、自分の横を通るアリに挨拶をする。
由香里が最も愛しいものだと思うことの一つ、それは「平和」だということなのだ。 自分に悪意を持って危害を加えてくる者もいないし、周りに悪意を持って危害を加える存在もない。全ては安らかに、健やかに、ゆっくりと、流れていく、この日々に感謝し、愛し、そして時間を享受する。 それが平和、人間が享受する崇高な概念――由香里はそう信じる。
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由香里がグラウンドで盛大にこけているとき、勅使河原摩子は学園の屋上に立っていた。 優等生の彼女にしては珍しく、授業は抜けてきていた。 「国城三輪の娘が、この学園に?」 『そうや。花谷大臣からの連絡や』 片桐から電話で連絡を受けた摩子は、突然もたらされたその情報の真偽を決めかねていた。確かに学園に国城性は一人いるが、確か近所の八百屋の娘のはずである。 JCIA長官の娘ともなればテロの標的などになるので、別性を名乗らせているのかもしれない。 あるいは、長官が離婚している説も考えられる。もとより彼女の家族構成は明らかにされていないので、色々な可能性があった。 『真偽はともかく、面白い情報や。あの市民団体どもの使い方も決まった。暴徒にして、そっちにけしかけてやろうと思うんや。こっちには佐々野もおるし、まあ上手くいくやろ』 佐々野は片桐の部下の中では抜きん出た能力を持つ。 確かに彼女の能力を使えば、暴徒を生産し、制御するのも不可能ではない。 「暴徒ですか。数は? 武装は?」 『あー、一万と三、四千人ぐらいの人数でな、学園をぐるっと囲んで、攻撃開始や。適当に銃器や武器もばら撒いて、後はまあ適当や。史上でも稀に見る大闘争になりそうや』 「私としては別に不満はございませんが、そこまでして市民団体を使う必要はあるのか疑問が」 『なあ、聖戦士ラジアベルよ……一つ覚えといたらええんや。混乱の種というものはなあ、いくら蒔いても不足ということはない。考えてみるんや。ミリルの攻撃で混乱するJCIAに、武装勢力が私立学園を攻撃している情報が入ったときの影響を。混乱や。混乱するんや。ものすごく混乱するんや。その混乱は、天球星霊教会が動く絶好の隙になる》 片桐は非常に愉快そうだった。 おそらくは繰り広げられる殺戮の光景を脳内で想像しているのだろう。 聖戦士ラジアベルと呼ばれた摩子は、神妙に聞き入り、そして携帯を切って屋上から出て行った。
太陽が輝き、風が吹く。鳥が囀り、木々が揺れる。 グラウンドではサッカーの授業がまだ続いている。 いつもと変わらない光景、声、場所。 たとえ、明日には地獄に変われど、今は平和な時間がただ、過ぎていくだけである。
『救世主ミリルのお仕事』 第5章 -5月14日 戦争前日- 5-1「左右の鏡」 5-2「心の麻薬」 5-3「ウソとホント」(現在ページ) 5-4「言葉の意味」
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